岩手日報 「声」欄 靖国神社への参拝について 2022年4月 | ||
補完説明〜 わたくしが中学生のころには修学旅行は東京周辺で、見学地点の一つに靖国神社がありました。戦争を直接経験した世代の方々の中にも、すっかり洗脳されて「お国のために命を捨てても…」という理念の象徴として靖国をとらえている人もいます。 逆に、軍部の意向を成就させるための宣伝手段と捉えているが、身の危険もあり表立って反論することは困難だったと振り返る人もいます。 基本は、政教分離と信教の自由です。 公費を宗教につぎ込んだり、政治家が宗教団体と癒着的な関係を持つことは、昨今執筆時点でも問題になっている統一教会との疑念に見られるように、非常に危険なことです。増して諸外国の中にはある宗教を「国教」としたり、トランプの支持母体が福音派で政治内容にも大きな影響力を及ぼしていたりします。 加えていうならば、私は多くの宗教が嫌いです。なぜならばその存在のために国家間の平和が脅かされている例が多くあります。戦争の対立は多くが違う宗教を信じるためです。宗教とは本来人を幸せにするためにあるべきですが、多くの宗教では異教徒を敵視して「教義に従って」命を簡単に奪います。場合によっては同宗教の中の対立、「キリスト教の中のカトリックとプロテスタント」や「イスラム教の〇派と△派」のように、これまで殺し合いの抗争を起こしているものもあります。何のための宗教なのでしょうか。無い方がマシ。この件についてはまた別件で詳述を目指します。 今回の投書は、看過できない投稿が地元紙に掲載されたために反論を掲載してもらったものです。 |
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わたくしの投稿した反論 ↓ | 反論の元となった投書 ↓ | |
岩手日報 日報論壇 | 2020年 令和2年7月29日掲載 | ふるさと納税制度について |
讀賣新聞 気流欄 | 2018年3月12日掲載 | 震災から7年 |
おらの方言解説 |
2018年の芥川賞受賞作「おらおらでひとりいぐも」に出てくる方言を、地元で使っている感覚から説明して、他の地域の皆さんにも理解を深めてもらおうというものです。 |
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地元紙に連載したコラムから(紙面画像) 新聞紙面をコピーした画像版です。 一部に誤植があります |
平成元年(1989)7月〜8月に地元紙「釜石新報」に掲載された文章です |
私のキャンプpa1
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平成9年(1997)1月〜2月に同じく掲載された文章です |
鳴子のじいちゃんpb1
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地元紙に連載したコラムから(活字版) 新聞紙面からOCRでテキスト化した文章です。 可能な限り校正してあります |
平成元年(1989)7月〜8月に地元紙「釜石新報」に掲載された文章です | ここをクリック!→ |
平成9年(1997)1月〜2月に同じく掲載された文章です | ここをクリック!→ |