私の作文テキスト版       
出来る限り原版の誤植部分を修正してあります。

私のキャンプ」              平成元年7月6日 釜石新報掲載

 快適にキャンプをするための条件。それは「キャンプ場」以外のところを選ぶことだ。特に海辺のキャンプ場を利用すると……まず人口密度が高くて繁華街と同じくらいになる。それによっぱらいがいてうるさい(夜中まで)。花火をバンバンならすガキがいる。発電機を持ち込んで必要以上に明るく騒々しくする。車の出入りが多い、トイレがきたないetc。とどめは、真夜中に着いたパーティがテントの組立て方がわからず大さわぎしながら私のテントの枕元でペグをガンガン打ち始める。これじゃ何を求めてキャンブをしに来たのかわからない。カラオケバーとキャンプ場をごっちゃにしている。バカさわぎは街でしろ。大自然のふところにいだかれて眠る、静かに休む、これがキャンプだ。
 こういう主張を「自然派キャンプ」と名づけるとすれは「交流派キャンプ」もある。主催者の呼びかけで何らかの共通点なり目的を持って集まる。以前、盛岡市フォークダンス協会にさそわれて参加したキャンプでは、県内のいくつかのFD団体からも参加者があって、自然の中で踊りを楽しみ、交流を深めた。また本格的キャンプファイア等もあって心満たされるものがあった。人間が穴ぐらで生活をしていたころの本能が、火と原始的な踊りにさそわれてはい出して来る。そこでは皆んなと本音で話しあえる気がする。
 ところで今の私が多く行くキャンプはあえて名付けれぱ「せっこきキャンプ」とでもいおうか。テントは張るのがめんどくさい。走るテント(1ボックスバン)に、ふとんやら衣食類を詰め込んででかける。ついでに最高の仲間たち、妻子も積み込む。ポータプルトイレ、アイスボックス、給水タンク…。オートキャンプ(車中泊)のよさはその快適さにある。日常の生活用具を大部分持ち込めるし、雨が降っても完全防水、風が吹いてもバタつかない、平らなところにふとんを敷いてパジャマで寝られる。リゾート開発でもそうだと思うが、現代人の多くは雰囲気は大自然を味わいながらも、生活そのものは日常と変らない便利さを求めて来るようになると思う。少し寂しい気もするが少なくとも日本においては、本物のサバイバル遊ぴができる状況はなくなって来ている。登山でさえ最新鋭の用具、ウェア、用品で身を固めているではないか。今さらすっかり自然にもどって生活しようというのは無理なのだ。私の中でのキャンプは心休まる遊びの場だと思う。アダムの時代からの食料を得るための苦労、寝所を捜す心配、そういうのを一切忘れてキャンプにひたるのが心地よい。考えてみれは豊かで幸せな世の中になってしまったものだ。両親や祖母の話しを聞いただけでも我々のほんの一世代前までは苦労をするのがあたり前だった。こんな現代の環境に感謝している。


「それより僕と踊りませんか」    平成元年7月13日 釜石新報掲載

エッ?中学生じやあるまいし…とか、そんなんじゃなく社交ダンスはしないの?どか、カワイイ女の子はいる?などの反応が多いのですが、FD(フォークダンス)に携わる者として、「真相」を説明したいと思います。まず、フォークダンス(FD)は小、中学生だけのものでしょうか?FDの中にはいろんな分野があります。まず世界の民族の踊りを狭義でのフォークダンスと呼んでいますが、これはマイムマイムだけではなく、かなり高度な動きを要する芸術的なものも含まれています。学生時代にFDを本格的にやってきたが、現在は家庭にうずもれてしまっている、という愛好者も多くいるはすです。これらの人たちを引きつけるほど高度な活動内容が残念ながら組めないという悩みもあります。それだけ奥が深いのです。それからスクエアダンス。8人でセットを作り、コーラーの指示に従って動きます。戦後間もない頃、釜石小学校の校庭がいっぱいになるほど行われていたこともあるのだそうです。そしてラウンドダンス。これは社交ダンスに最も近い分野で、ワルツ・タンゴ・チャチャチャ等々あるのですが、曲によってフィギュアの順が決まっているところが社交ダンスと違うところでしょうか。レクリエーションダンスは、八−ドなディスコから、流行の歌謡曲まで振り付けてあって、運動量十分の若者両けから、静かな動きのものまであります。また日本の民謡も踊ることがあります。これらの分野を一括して、広い意味でのフォークダンスと呼ビます。建全なレクリエーションの一つとして行われ、毎年県大会や各種講習会等も催されています。だれでも新しくサークル活動に入るには大きな勇気がいると思いますが、FDはレクリエーションですので軽い気持で始めてみませんか?適度な運動動は老化予防にもなりますよ。中学生にFDの指導をしたりすると、男子生徒が数人、片隅の方にまるまっていて「オラやんたじぇ」といって、本当は参加したいのにイバッてみせていたりします。思春期に見られる健全な反応なのでしょうが、もう少し社交性を広げた別の成長過程を歩ませたいと思うのです。西欧では幼少のころから日常生活の中に、男女ごちゃまぜになって踊る行事が多く見られます。日本の踊りには男女が手をつないだりするものは珍しいのです。そういう歴史的背景の違いもあるのでしょうが、日本人はまねをするのが上手なので、よい習慣(FDパーティ等)を取り入れて、楽しく交流する術を身につけてはどうでしょうか。その世代が国際社会に出るころ、シャパンバッシング(日本たたき)などという言葉はなくなると思います。


「よっぱらいたち」    平成元年7月20日 釜石新報掲載

 夜中の二時を過ぎたころだろうか、突如「キェーッ!・ストーム」と、スピーカーが割れんはかりの奇声が寮内にとどろく。台風の発生だ。まず寮内放送で予告をしたあと、ストームの一団がねり歩き始める。よっぱらいたちは一つ一つの部屋をまわって酒をつぐ。力ギをかけてもだめ。ドアが開くまでたたくので、こわれてしまう。寮に入ったばかりのころは、おぞましくて逃げ出したかったが、しばらくすると、あきらめの境地に至り、寮を出るころには何度か自分もストームをかけることになった。握手ぜめのストームはふつうであるが、変わったところではギターをかき鳴らしながらの音楽ストーム。(NSPの夕暮れ時はさびしそうとか)歌いながら人数をだんだんふやしていったりして。しかしながらよっぱらいは概して破滅的な方向に乱れる場合が多いようで、廊下の照明をこわして回ったり、木刀でドアに突きで穴をあけたり、さらに乱れて唇を男同士で奪ってみたり、柔道部、空手部、合気道部三つどもえの乱闘などとなると、まわりの者には手の出しようがなかった。ぜいたくな話であるが、寮は食住の場であるとともに、酔っぱらいの取り扱いを研修する場なのだなと思った。社会人になるとその研修も多少役に立って、少々の酔っぱらいには恐怖心を抱かなくなった。ともあれ、酒は楽しいお酒に限る。
 最近の飲み屋さんにはほとんどカラオケがある。人好き好きといえばそれまでだが何とかならないものか。酔っぱらいの自己満足のへたな歌を強制的に聞かせられる。団体で行った時には必らすマイクがまわって来る。だれにでもキライなものがある。私はカラオケがいやなのだが、相手はしつこい。頭に来て、いつかマイクのコードでそいつをぐるぐる巻きにして、テーブルをひっくり返して帰って来ようと思っている。酒のみに行くのはコミュニケーションを広めるのが楽しいからだと思うのだが、それをしないでカラオケばかりやって帰って来る。 またよくあるのが飲みすぎ。酒は人と人との潤滑油にたとえられるが、油はさしすぎても機械をこわす。ただいっばい飲めばいいというものではないし、酒に強いのを自慢するのも考えてみれは不経済な話である。適量のアルコールで楽しく酔っ払う…これが「燃費のよい」これからの酒のみだと思うのだが…。またまた不平を並べてしまったが、あまりつきあいのいい方ではないと自分でも思っている。それでも誘ってくれる仲間があり、かの寮の旧友からも声がかかって山形へ行ったりする。ありがたいことだと思う。


「森の中へ」    平成元年7月27日 釜石新報掲載

 むかしむかし、あるところにおじいさんとおばあさんが住んでいました…。日本の昔話にはこういう設定が多い。桃太郎、花咲じいさん、舌切りすずめ…。
 西洋の昔話にもやはり好んで使われる舞台がある。それは森の中と、か弱い少女という組み合わせだ。赤ずきんちゃん、へンゼルとグレーテル、白雪姫…。童話に限らず物語の中の自然描写を読む時、その情景を思い浮かべながら読む方も多いと思う。私の頭の中に広がる森の様子、そこは平地で太い木がまばらに生えている。ふんわりした下草と小さな花たち。ところが釜石周辺の山野に多いのは、急な斜面に細い雑木とヤブが貼り付いているか、杉林とイバラの組み合わせ。そんなところばかりなので、理想の森の姿を幼いころから追い求めて来たような気がする。それだけに、あっ森だ! と思うところに出会うと、赤ずきんちゃんではないが花を摘みながら、どんどん中へ入って行きたくなる。
 遠野と大槌が接するところに樺坂峠がある。昔は沿岸と内陸を結ぶ要路だったそうだ。その少し北側、白見山の南麓に「森」がある。そこにたたずむと白雪姫と小人たちが木のかげからやって来るような気がする。なあんだと感じる人のほうが多いかもしれないが、私には森のコレクションの一つだ。コレクションといっても、集めるわけにはいかないので、こちらから足を運んでいくことにしている。
 冬のスキーシーズンほどには人のいない安比高原。初夏のころ観光施設のない(注、現在は中の牧場にぶなの駅ができている)「奥の牧場」のあたりは、タケノコ取りが通り過ぎる以外は訪れる人もまばらだ。高所ではセミが5月末頃には鳴きだす。カッコウやホトトギスも聞こえる。自樺・ブナの森の小道を行くと、ポッカリと草地が開けている。道はそこでなくなるが、芝地は迷路のように繁みを縫って四方に続いている。気の向くままにどんどん奥へ歩いて行く。どこへでもテントをそのまま張れそうな気持のいい小さな広揚だ。そっと湿原もある。ひと休みしてそろそろ帰ろうか。この湿原は北側を通って戻ればいいな。……アレレ…。さっきの湿原だと思ったところが別の湿原だった。近くには目標物はないし芝地はなくなってヤブはっかし。幸いすぐ北側に車道があるので、そこまで親子五人でヤブこぎをしたのであった。下の子二人はかたぐるまとおんぶ。 だが小一の長女は喜々としてヤブこぎを楽しんでいる。あたりまえじゃないのが好きなところが親に似ている。その車道を横切って草原を行くくと小さな沼が散在している。(次回につづく)


「大人だって水遊びしたい」     平成元年8月3日 釜石新報掲載

安比高原の地形図を見ていると、小さな水たまりがたくさん記されている。尾瀬や千沼ケ原のような高層湿原なのだろうか?それにしては周囲の植生の雰囲気がちょっと違う気がする。もっと勉強すればわかるのかもしれないが、素人考えで成因をアレコレ勝手にデッチ上げてみるのも楽しい。草原の所々に高さを違えて大小の水たまりがある。ミツガシワのような植物が生えているのもあれば何もないのもある。つゆ入り前の快晴の日、つつじが沼のほとりに咲き4歳の長男が片足を沼に踏み込んで「カップリ」をとったため、裸足で戻って来たことを除けば、平和な一日であった。
 ここに限らず地形図をながめていると無意識に湿原や湖沼を探してしまう。これも釜石の地形ではあまり見られないため、あこがれてしまうからだろうか。山の上にある沼、これはもうながめるしかない。千沼ケ原から滝の上温泉に下る途中に平ケ倉沼がある。熊もいたが大きな鯉もいるという話だ。見てみたいな、そうだゴムボートなら使えそうだ、よし、いつか担いで来よう。
 車で通りがかりに見える湖、これをほうっておくテはない。何かを浮かべて上をすべって見よう。…みなさんも小さいころ近くの水たまりや大雨のあとに、いかだを作って乗って遊んだことはないだろうか。子供に対しては危ないからやめろ、濡れるとカゼひくから止めろと、水遊びにはうるさく注意するが、なんの事は無い大人だって水遊びはしたいのだ。北上川のゴムボート川下りもそんな遊び好きの大人たちが出るにちがいない。いかだやボートより速く進めて波にも強い、ウインドサーフィンみたいに運動オンチでは5mも進めないなんてこともない。それがカヌーだ。静水面であれぱだれでもすぐに始められる。カヌーは全国的にはプームなようだが、この辺りではあまり見かけない。首都圏に住む人たちに比べれぱ岩手はものすごく恵まれている。猿ケ石川、北上川をはじめ人造湖(ダム)が数多く散在している。そして何よりも変化に富んだ海岸線に沿って広大なカヌーゲレンデがあるではないか!これらをほうっておくテはない。海が川が湖が、タダでいらっしゃいと呼んでいる。用貝一式をそろえても他の行動派スポーツに比べれは安い。さらに安く上げるには本場アメリカから通販(個人輸入)で用品を仕入れる。あとは準備をして出かけるだけだ。本体とパドル、ライフジャケットはもちろん、低水温時はウェットスーツ。海ではセルフレスキュー用のバドルフロート、アマ無線機、コンパス等。一漕ぎするとやめられなくなる。沼(カヌー)と森と高原を楽しんで、山も見える海も見えるキャンプサイト…そんなところがついにありました。秋田県南のその高原も今開発が進んでいる。自分は行きたいけれど他の人はあまり行かないでほしい…身勝手ですいません。


「たまに感じること」     H元・8・10釜石新報掲載

だれかが食事をしている、お腹がすいてパクパク食べる、仕事の合間にベんとうを食べる、そばをすする、おにぎりにかみつく。そんな姿を見ていてふと、美しい、と思うことがある。昔後輩にそんなことを話したら、「たべものくうのはあだりめだべんたら、そんなのおがすなー」と言われたが、やはり今でもたまにそう思う。ただしグルメとか高価な料理を食べているのを見るとかえって醜いと感じる。生きるために食べる、たとえ粗末な食事でもありがたく食べる。これが美しく見える。
 あの人はいい人だと賛辞を受ける資格のある人はどんな人だろうか…あいさつをきちんとする人、何でも文句を言わずにやる人、笑顔の絶えない人、いろいろあるがこれらも一要素であって例外もあるし、決定的ではない。私なりの条件を並べてみると…@人への思いやりのある人A常に前向きにやろうという意志のある人B人に迷惑をかけないように努めている人。この三点を満たしている人だと思う(もちろん自分など合格できるわけないが)。さらに三点を満たした上で自分が満足できて幸だと思える人がいたらすぱらしいと思う。
 男性にとってデパートやスーパーの食品売場で買物をするのには勇気がいる。まして計り売りの総菜を注文したり、特価品だけ選んだカゴをレジに出したり、さらには閉店間近の売り場で値下げシールを貼っている店員のところに行って、一度カゴに入れたものの値段をなおしてもらうとなるとかなりの年季が必要だ。しかし一度そのカベを乗り越えてくると安く買えたという満足感のほうが大きくて平気で買い物に行けるようになる。お店のほうにはもうからない客で申し訳ないが…。
 今の若者は駅弁のフタのウラについたごはん粒をかき集めて食べるということはしないのだそうだ。もったいない。三十代半ばというのも自分がなってみるとまだ若いつもりもあるが、「今時の若いモンは」という見方もそろそろ出てくるころだ。世代や年だけで片付けられることではないようだが、ケチ→もったいない→物をだいじにするという図式から私は離れられないようだ。
 7月末より不順な天侯が続いていますが、内陸等では結構晴れている日が多いようです。水道、農業には沿岸部の雨はありがたかったのですが、このあとは青空が続いてほしいと思います。皆さんも明け方の寝冷え等に気をつけて残り少ない夏を乗り切っていただきたいものです。

「ちびっこたち」    H元・8・17  釜石新報掲載

階段をバタバタと上って来る音。 「おとうさん、私のことも書いてね。だれとだれのこと書いたの?水道部(注 職場)のこと書いたら?」 「ぼくのことも!」 「ユッキも!」と子供たちが寄って来てさわぐので、少し希望を取り入れることにしよう。正直なところ子供が寝るまでの慌ただしさ・風呂入れ、勉強、はみがき、着がえ、後かたづけ等々とても原稿など書く気にはなれないのだが、大声でどなりちらしながらなんとか寝せつけると、あとはまたシンと静まり返って創稿に専念できる。これも正直なところだが、他の家の子はあまりかわいいと思わないので、自分に子供が出来たらどうなのか心配だったが、余計な心配だったようだ。だれかが父親のこどもへの愛情はオムツ交換で嗅いだウンチの数に比例する、と言っていたが、私はなんとか赤点にならない程度に合格していると思うのだが…。(何せウチには、ばあちゃんとひいばあちゃんがいて、日中はちゃんと面倒を見てくれている。もちろんカミさんも仕事から帰るなり家事に育児にいそがしい。でもなるべくそれにはあまえないようにしたいと心がけてはいる。)
 最近白髪がふえて来た。別に苦労しているわけじゃないのだが、長女と交渉して1本1円で抜いてもらっている。はじめは五円だったけど増えてきたのでアルバイト料を値切った。ある時息子が、新聞を読んでいる私のところに来て髪をいじっている。何か言いたげだがそれは隠して、なおもそっちこっち私の頭をなで回している。おでことおでこをくっつけてよく聞いてみたら、息子も白髪抜きをしておねえちゃんのように十円くらいためて、こどもショップヘ行きたかったようだ。だがまだ四歳では髪の毛を抜くことができない。遠慮がちなところがかわいい。
 これは三歳の時のこと。連休に親子プラス義父で遊びに行き、カーホテルに泊まった。子供たちはめずらしいところなので大はしゃぎしている。こたつでビールをのんでいると息子が耳打ちしに来た。「ねえねえお父さん、むこうのへやに、あやしいお母さんがいるよ」何のことかと思ってベッドルームに行ってみると、まさに妖しい、胸もあらわな女性の写真が壁にかけてある。子供の目から見るとお母さんの胸を連想したものの、少し雰囲気が変だなと思ったらしい。
 二女はまだ舌がよくまわらないけどよくしゃべる。夕方家に帰ると、お母さんにだっこされて外で涼んでいる。「口のまわりに何つけてるの?」「かイェ〜」「えっ?」「かぃえー!」。カレーライスだった。二歳を過ぎていたずらがはげしくてつい怒鳴ってしまうが、自分が子供のころの話を聞くともっともっと過激だったらしい。今のうちはまあいいか。ワンパクでもいい、思いやりのある子供に育ってほしい。


「ねむりぐすり」            H元・8・24  釜石新報掲載

 なかなか眠れない時どうしてますか。雨だれや羊を数えるというのがありますが、あれは一から数えてはだめなんです。小学生の頃から二百位までの数は無意識に数えられるように慣らされているのでキキメがあまりない。六ケタくらいの数、例えぱ782436、782437、ともっていくと効果ありますよ。 私は高校生のころ必殺の睡眠法を持っていました。教職にある方にはたいへん申し訳ないのですが、その方法とは世界史の教科書を読むことでした。三分とかかりません。丸暗記は不得意なので頭に入らないし、興味のない事柄を延々と字をたどれはだれでも眠くなります。同じ文章を読むにも新間の三面記事などは一度読んだだけで、年令・職業・場所・日時等全て記憶され、さらに各人の論評まで練り上げられて翌日の下馬評になるはどちちの職場でも同じと思います。同じ文章なのにどうしてこうも待遇がちがうのでしょう。
 今年も8月15日が過ぎました。その日に到るまでにどのような残虐な行為が繰り返されたのかを振り返るとき、残念ながら私の頭に残っているのは教科書から得た知識ではなく、マスコミ等による断片的な情報が殆どのようです。その原因は二つあると思います。一つは教科書裁判に見られるように教科書の内容そのものに不足な点のあること、もう一つは歴史を学ぶ上で「なぜそうなったか」という疑問を生かす余地のないことです。自然科学にしても人文科学にしても出発点は「なぜ?」という探求心にあると思います。年号と史実を羅列して暗記が楽しいという人にはよいかもしれませんが、大部分の生徒はあくびをがまんしているのではないでしょうか。(もちろん先生方に責任があるのではありません)ネアンデルタール人から始まって中世のあたりまで習うともう暗記用のメモリはパンクしてエネルギーを使い果してしまい、近代から現代(戦中戦後)のことになるとカリキュラムの消化に追われてサラッと通り過ぎてしまいます。ところがこの「現代史」の部分が最も重要な部分だと思われます。小中学生だって気付く疑問はたくさんあるはず。なぜじいちゃんばあちゃんの兄弟は全員健在でない場合が多いのか。なぜ7月と8月には黙とうする日があるのか。なぜ年配の人たちは「朝鮮人」という「蔑称」を用いるのか。なぜ北方領土は返還されないか。なぜイスラエルとアラブは仲が悪いのか?なぜボートピープルと呼ばれる人たちが脱出して来るのか。…私自身よくわからないまま書いているのだが、こういう現代の事実をふまえた上で歴史をさかのぽって調べてみるのも一方法と思う。そして社会科の評価もこうした「探求」に対して与えられるようにならないものだろうか、しっかり過去を見つめ、未来に生かしてゆきたい。

「又三郎の季節」           H元・8・31  釜石新報掲載

 はじめて北海道に渡りました。なんとドタちやん(※)に会いました。十勝毎日新間にも連載されているのです。音更(おとふけ)町は十勝平野、帯広の北に位置し、ここには世界一が二つあります。針の幅が最大80センチの花時計、秒針は小走りするくらいの速さで回っています。定時には種々のメロディが十勝平野に響き渡ります。そして植物性温泉、大古の地層の植物工キスが地熱でわき出て来ます。黒緑色透明で細かい植物片が浮かんでいる、こんなのは初めてです。夕張市では再興策の一つとして石炭の歴史村を作りました。名称は地味ですが子供から大人まで楽しめ、丸一日かかつても全部は見られないほどの規模です。ロボット科学館、立体映像館、アドベンチャーファミリー(遊園地)、知られざる世界の動物館、ローズガーデン、水上レストラン、炭抗生活館、そしてメインは抗道も生かした石炭博物館です。炭抗の科学、技術、生活、栄光の歴史、坑道内ではろう人形たちが関連作業の一切を見せてくれます。坑道内の馬車引きの声は市長さんの声なのだそうです。密林のように支保杭が並んだところもあります。小手先の映像に頼ったりたりしない真正面から取り組んだ内容に、好感を覚えました。北海道内どこへ行っても共通に感じたのは、ふるさを思い発展させようという気概でありました。
 「谷川の岸に小さな学校がありました。さわやかな九月一日の朝でした。青ぞらで風がどうと鳴り、日光は運動場いっぱいでした。」 …風の又三郎が転校して来たのも今ごろです。イーハトーヴ(岩手)の中に住んでいるとこの作品のいろんな場面が風土に根ざして描かれたものだと感じます。種山高原や豊沢川の辺りと共に「小さな学校」が大橋にあった釜石鉱山の学校だったという説も間いたこどがあります。今釜石はここを巡って揺れています。賛成の方も反対の方も共通しているのは釜石をよりよい形で次代に引き継ごうという気持だと思います。学習不足の私がこの件について賛否を述べることは適当ではありませんが、「核」そのものについては現在の技術レベルにおいては反対です。戦争と核に共通しているのは、弱者が犠牲になるということ。エライ人たちは安全なところで指図するだけ。戦争責任者が真っ先に最前線へ送り込まれ、原発推進幹部が原発敷地内に住んで被曝作業を毎日やらされるとなれば、だいぶ状況も変わるかもしれない。無責任な政治結着はやってもらいたくない。
 さてまだ書きたいことはあるのだがタイムリミットになってしまった。本もあまり読まなければ文章を書くことも少ない。本来ハングリーな状況から優れた作品成果が生み出されるのだろうとは思うが、私なりに気をつけたのは、自分で考えたことや体験したことを書こう、起承転結を心掛けよう、建設的意見にしよう、という点でしょうか。でも身内からはアクが強いと言われた表現もあったようだしアクを隠すのもこの辺が限度のようです。これからの季節さわやかな秋に向けて走り出そう。読了ありがとうございました。
 ※ 当時釜石新報に連載されていた4コママンガの主人公