「栗駒山 野鳥の森と池塘群」  2020

  前編の 栗駒山 昭和湖と竜泉が原 はこちらからどうぞ
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 前年(2019)の夏には栗駒山の昭和湖と竜泉が原を空から、それに栗駒野鳥の森の北東端にある沼を (Googleマップ写真ではこちら)徒歩で訪ねることができました。その後周辺の地形図と航空写真を見ていると、栗駒山の北麓にはもっとたくさんの湿原や池塘が存在することがわかってきました。またネット上にも調査した記録等がみつけられました。2020年の夏は梅雨明けが特定されないという、雨天がほとんどの夏ですが、晴れ間を見つけて見学をしてみました。。

 上記の「北東端にある沼」と書いたところは、西のかくれ谷地 と呼ばれているらしいです。そこから野鳥の森の遊歩道を西に進んだところの写真を拡大してみると、なんと!多数の池塘が指紋状に連なる湿原、のちに見つけた資料では「段々谷地」と呼ばれるところがあるようです。
 下の写真はYahoo地図より。 前述リンク先はGoogleマップです。Yahooの方が、色彩のコントラストがわかりやすい季節ですが、画像がやや粗いようです。Googleマップの写真は精細度は高いのですが、季節が秋なのか、湿原と森林の色が似ているのでわかりにくいです。
 上の写真の右側で白っぽい部分は、野鳥の森の案内図(須川湖畔にあった、左写真)の右上にある駐車場です。
 この取材時点で、遊歩道の木道が傷んだ箇所を取り替える工事が進められているようで、資材が置いてありました。(作業自体は休みのようでした)

 小川を渡って普段は通行止めの車道を歩き始めます。未明まで雨でしたので、雨具の下だけを付けて、履物はアップダウンがあまりないようなので長靴です。

 栗駒野鳥の森 ということになっていますが、行程を通して、あまり多くの鳥を見かけるわけではありませんでした。ドローンの前を横切る姿が数羽確認された程度で、さえずりも聞きません。なので私的にはこの周辺は湿原と池塘を気軽に散策できるエリアとして貴重だと思います。雨が多かったので道路に出来た水たまりにイモリが居たことと、右写真の黄色いイトトンボが珍しい発見でした。
 大きな石を置いた通行止めは、横に追いやられて、敷設替えする木道の運搬車両が通れるようになっています。駐車場から300メートルあまり進むと、枝葉の隙間を通して第一目的地の 段々谷地 が見えるところに来ました。
 下の二枚の地図(写真と図形)を見比べると、写真の白矢印の先にあるこの湿原(谷地)は、図形の方には表現されていません。
下の二枚の図は、ほぼ同じ場所の写真と図面です。リンク先で切り替ながら閲覧できます。
↑上の写真は国土地理院地形図を「写真」に切り替えたものです。高低差による歪みを補正した「正射」になっているはずです。
↑上の図は国土地理院の地形図で、レベル17 です。18になると湿原記号や水面の色が消えます
 上の写真は だんだん谷地を上空から撮影したものです。左上が南方向です。上方に別の湿原も見えますが、地形図(2段上の右図)にはこちらだけが湿地記号で表現されています。
一部日陰で見にくいのですが、動画はこちらからご覧ください。
 右写真から下は地上から撮影したものです。
 8月なので、ミツガシワは葉だけで、タチギボウシやキンコウカなどが咲いています。水面に浮いた葉はヒツジグサでしょうか。今度は花の時期にも来てみたいものです。
 段々谷地から作業道に戻って奥(南西方向)に進みます。歩道の分岐点には看板が立っていて現在地とルートがわかります。北を上にすると右写真のようになりましたが、赤い線は現在通過困難のところです。左下は須川湖からの入口です。トイレはそちらにしかありませんが、一度沢に下りるため、歩道は屈曲して橋も落ちている所があるという掲示を見かけましたので、2020年現在は北東端の入り口から入るのが楽そうです。
 これからたどるコースは行き当たりばったりなのですが、結果的には右図の灰色のコースだけを、現在地から左(西)にまっすぐ進んで、八の字を描くように回って戻ってきました。
 この次は図で 「立入禁止区域」 と 「湿原地帯」 と表現されている所の報告です。
 別項で述べた「栗駒山の自然を訪ねて」(一関プリント社出版部H10初版、一関の自然刊行委員会)には、このあたりのことは一括して「秋田湿原」と紹介されていますが、衛星写真や地形図を見ると結構広がりがありそうなので歩いてみようということで今回2回目の来訪となりました。

 左の図は地形図や各社地図の衛星・航空写真から図に起こしてみたものです。
 紫色破線は、2021踏査による歩道位置です。これ以外の枝道(地形図上の黒破線)で現状通行可能な部分はありません。(右下の河原盆地部分内は歩行可能)

 一段下の図は、西丸震哉著 山だ原始人だ幽霊だ 経済往来社 S52 P114 から引用させていただきました。二段下の図は同著 未知への足入れ 角川文庫 S56 P177 からです。括弧でくくっている地名は同氏が命名したもののようです。

   ↑ 図版引用〜 西丸震哉著 山だ原始人だ幽霊だ 経済往来社 S52 P114 (下部省略)


  ↑ 図版引用〜 西丸震哉著 未知への足入れ 角川文庫 S56 P177

 須川湖よりも西に至る栗駒有料道路(現在は無料)は、この時点では開通していなかったようです。また西のかくれ谷地から下の淋し原に至る歩道も、上の図にはありますが、下の図ではまだ未開だったようです。このような交通が不便な時代に、しかも地形図は不正確だった5万分の一しか無かった時代に、よくもこれだけ動き回って調べたものです。

(2023.11補完)
その後読んだ西丸震哉氏の本に、さらに明確な図版がありましたので、引用させていただきました。

↑引用元〜 中央公論社中公文庫 山とお化けと自然界 著者 西丸震哉19901110日発行 196-197ページ


 栗駒周辺の湿原をくまなく踏査されている方のHPを通して、西丸震哉さんがこの辺りの湿原等多くの地名の名付け親になっていることがわかりました。また関連する著書(絶版)を3冊ほど入手して、概念図も見ることが出来ましたので上の図で引用させていただきました。この辺りを踏査したのは昭和30年代前半までのことのようです。

 ← だんだん谷地から進んで 下の淋原に近づいた辺り。アシが高く茂って湿原や池塘の見渡しができません。
 読んでみると、未知の世界へ行ってみたいという夢に共感します。ただしよほど恵まれた条件・環境を持った人でないと何度も自由に動き回るのは困難ですので、私の場合には時々得られる限られた時間の中で、効率的に行動できるようにできる下調べは行ってから出かけます。

 右写真は、左の歩道を下から進んできて、下の淋原の横から左折し、上の淋原へ上って行くあたりです。 直進する道は現在は歩行困難とされています。
 
 私はあまり本は読まないのですが、西丸震哉さんの「野外ハンドブック」は40年余り前に買って読んでいました。雨の中で立って食事をするのに、傘をどう使いこなすか、という状況で、傘の柄を背中に入れて頭に載せれば安定して両手を自由に使える、ということなど多くを学びました。

 ← 上の淋原へ向かう歩道 向こうは栗駒山頂上。白い木道は布設替えしたばかりのところです。
 西丸震哉さんは、釜石市にある水産試験場(現在は市内で移転して水産技術センター)に戦災直後に勤めておられたことがあるようです。中学生のころに友達と見学に行ったことがありますが、額の文字に「発開洋海」と書いてあって ハッカイヨウカイ? で分からなかったのですが、右から読むのが正解なのでした。

 右写真は上の淋原の休憩木道です。古い木道が湿原に同化しそうになっていますが、ここで雨具の下を脱いで、ドローンの離発着を行いました。誰とも逢わず二人で楽しむことが出来ました。
 釜石市で昭和54年頃に、同氏が来られて「80年代の気象と食糧事情」といった内容の講演をしたことがあって聞きに行きました。本業に係るお話で興味深く聞いたのですが、残念ながら日本海側が豊作で太平洋側は飢饉になるという予測は当たりませんでした。でも気概のようなものを感じて嬉しくなったのでした。

 左写真は、上の休憩木道の南東にある変化にとんだ池塘です。道は右端から右斜めに森の中へ続きます。この湿原全体に言えるのですが、歩道上からは池塘がほとんど見えません。アシが生い茂っているのと、標高差が小さいので
水面の広がりを肉眼では確かめられないのです。
 野山に行く魅力の一つが、高所から鳥観図のように眺める景色を楽しめるということにありますが、この辺りでは多少高所があっても密林で見通しが利かず、少しだけ歩道が小高くなった休憩所があっても、池塘を見通す十分な高さではありません。歩道の脇に繁茂するアシを刈ればいくらか良くなるかもしれません。
 でも見通しが良くなってあまり便利になっても、私の好きな場所になるための条件の一つ「来訪者が少ないこと」の条件から外れますので、ドローンで自在に眺めたり、歩道を巡ることで十分満足できました。
 上下の淋原の空撮映像はこちらからご覧ください(Youtube字幕解説入り)