「遠野の寒戸」 2004.10.23       
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 遠野物語を読んだことはあるでしょうか? 「エンヤモノガタリってどこの話?」なあんてことを聞かれたことが前の会社に勤めていた頃にありました。 当然、柳田国男の原作(情報提供は遠野の人佐々木喜善)の遠野周辺の民話を集めたものです。 遠野は中学生の頃から自転車で仙人峠を越えて遊びに行ったりしました。車で行動できるようになってからは、荒川高原を中心に辺鄙なところを回るのが楽しみです。
 最近は国道から数百メートルにある、寒戸(さむと)のあたりでのんびりしてくるのが楽しみになっています。寒戸は遠野物語に出てくる「サムトの婆」のお話の舞台です。このお話は(うろ覚えですが) 神隠しにあった少女が、数十年後の風の強い晩によれよれの衣服を身にまとって家に戻ってきて、それまでの出来事を少し語って、また戻らねばと言って去ってゆきます。それからこのあたりの人たちは風が強い晩には「今日はサムトの婆が帰って来そうな日なりと言ふ」 ・・・とあります。
 いまこのあたりは人家もまばらで、猿ヶ石川のほとりに立つと農業用水の取水堰が不思議な安らぎを与えてくれます。
 
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 遠野盆地を流れる猿ヶ石川。向こうに見える山は遠野三山の一つ、六角牛(ろっこうし)山です。ちなみにあとの二つは石上山と、かの有名な早池峰山です。昔は山伏修行で、一日24時間以内に遠野三山をすべて登るということがあったと聞いていますが、徒歩では平地を行って来るだけでも非常に困難と思われます。本当でしょうか?
 さて国道バイパスから1kmほど上流の寒戸地区に用水を取るために川をせき止めているところがあります。遠野宮守間にはサイクリング道がありますが、ここはその一部になっているのかもしれません。自動車は下りていけないように車止めがあります。
 このあたりの猿ヶ石川は川幅が広く、流れが緩やかで砂が沈積しやすいところです。
 川の流れを全部はせき止めないで右岸端にゲートがあって絞って放流しています。ほかの部分は大雨のときなどには倒伏して全量を流すようになっています。 取水口の脇には魚道があります。
 「ゼェ」というものをご存知でしょうか?方言なのですが冬に川の表面を流れてくる氷のことをいいます。遠野バイパスの橋の上を通りながら観察しますと1月中旬から2月中旬ころは蓮の葉状の直径数十センチのゼェがよく流れているのを見かけます。 私の住む釜石では河岸に薄く氷は張るものの、ゼェが流れるのを見たのは数年前に一度だけです。遠野は盆地で寒暖の差が大きいようです。
 ゲート両端は開度調整(引き上げ)のための機械装置がありますが、さすがは遠野市です。デザインも江戸時代の小屋守の詰め所のような形をしています。
 取水した後には農地まで水を引く設備があるのですが、各地にある調圧水槽の形も石造り風であったり、細かく配慮されています。
 川原から見た、堤防上に停めた我が家の走るテントです。後方の山は高清水山。 30年ほど前に立ち読みした本に、この山の写真を挿して早池峰山という説明を付しているものがありました。遠野物語を読むと早池峰山がすぐ近くにあるかのような錯覚に陥ることがあります。この著者はおそらく誰にも尋ねず、遠野駅に降り立って、一番目立つ山を早池峰山と思い込んだのでしょう。公的な文章を書く方は(特に新聞記者など)裏づけを取ることが基本のはずです。 標高は400m台ですが、遠野盆地・市外を一望できる展望台があり、牧場もあります。車での上り口は、松崎・附馬牛・砂子沢などから4箇所ほどのルートがあります。
 このあたりは近くに民家が無く、遠野らしいのんびりした雰囲気を楽しむことができます。そこに川の流れと少し現代的な取水堰があったり、ベンチや広場もありますのでわんこの散歩にも適しています。移動別荘で昼食をとった後、お昼寝をして帰ってくるのが豊かな時間のすごし方だと思うようになって来ました。


08.05.11
その後も遠野に買い物に行ったりすると、昼は近くの川べりで過ごします。最近は、上記の登戸橋上流右岸から、その一つ上流の橋(名称はわかりません)近くの左岸の、水辺に下りていったあたりで過ごすことが多くなりました。さらに少し時間のあるときは、もう一つ上流の橋のあたりにも気持ちの良い流れが広がっていますので、そちらに移動します。
 こちらの河川敷では、ゲートボール場もあって、時々集まっては楽しんでいます。
 じゃまにならないように、離れた空き地に停めて、窓の外に野草を眺めながら昼食にします。

 リビをつれてくることも多いので、普段は一日2食のリビにも少し分けてあげます。(下)

 まだ草丈が小さいので、広い河川敷を気持ちよく走り回ります。(右下)
 川で、農作業で働いた馬を冷やして…ではなく、トラクターを洗っている人がいました。
 遠野の川にはいたずら好きな河童が住んでいて、馬を川の中に引きずり込もうとします・
・・。
 この日も少し夢の中を散歩させていただきました。
09.07.12
遠野の北郊
 遠野の荒川高原にはしょっちゅうキャンプに行っていたのですが、最近は訪れることが少なくなっていましたので、久々に向かいました。
 遠野の中でも北の方には、荒川高原、早池峰山へと続く道があります。今日は大出を経由して荒川高原へと行ってみました。
 猿が石川の上流、小出地区から少し下ったところにある重端渓(ちょうたんけい)です。この少し上流で発電用の取水を行っているためこのあたりは水量が多くはありませんが、独特の趣があります。
 りびは暑い夏は苦手なので、水を見ると自主的に水泳して体を冷やします。岩にあがると全身を振って水切りをします。



 次に上流の大出地区に向かいます。遠野で一番北の集落です。早池峰神社があります。大迫にも早池峰神社があります。ここの山門の中にある仁王像は迫力があります。30年ほど前に読んだ遠野のほんの表紙にこの像の顔写真が載っていました。
←ROで裏側。像そのものは撮り忘れてしまいました。 
 参堂を進んで本殿に向かいます。来週は例大祭があるようです。境内を掃き清めているおばさんがいました。三人で、無事就職できたことのお礼のお賽銭をあげて拝んできました。

 ここから早池峰山へ向かう参道があります。大野平を経て、又一の滝を過ぎ、薬師岳の山腹を巻いて小田越に至る道です。35年ほど前に長いアプローチもいとわなかったころに通ったことがありますが、小田越はその頃から車道が通っていますので、今では参道の登山道を通る人も少ないのではないでしょうか。
 隣には今は閉校された大出小中学校があり、iターンの受け入れを示すノボリが立っています。内部一般公開している様子も無かったので、次のところに向かいます。 遠野の道の駅を出て砂子沢経由でしたがここまでで65分くらいです。
 早池峰林道まで登る道は、いまだほとんどが未舗装で、登り坂とコーナーが続きます。両側から藪が覆っていたようですが、神社のお祭りの準備でキャンカーでも心配なく通れる幅に刈り払いがされていました。
 荒川高原までは30分弱です。途中にはしばらく来ていなかったので、その間に猿屋裏湿原が保護林に指定されていました。
 またまた昔の話ばかりですが、35年ほど前にこの荒川高原に通い始めたころは、ウチの車は4ドアセダンでした。細い、未舗装のほこりだらけの道を、何時間もかけてキャンプにやってきました。轍が深くて、インコースを通ると最低地上高が165ミリ以下の車はガリガリと腹をすります。そんなとき、タオルをマスク代わりに巻いた青年が向こうからタフトのフルオープンで埃を巻き上げながらやってきました。すれ違いが困難なのですが、こともなげに傍らの藪に突っ込んで回避してくれました。「これだ!」と思いました。以来乗り継いだ9台の車のうち、8台が4WDということになりました。同時に悪路でのスタック脱出用具も常備していますので、それを使ってセルフレスキューや、よその車を助けてあげたことも数知れません。
 馬産地の遠野ではここに多くの馬を放牧してきましたが、今回は牛だけしか見つけられませんでした。以前は放牧地だったところも水源涵養林として生まれ変わりつつあります。反面、短い草丈の草原やミズゴケの広場に、シナの木が点在するこの高原独特の風情は消えつつあります。
 まだ梅雨明けしていませんので、どんよりとして早池峰山もはっきりとは見えませんが、高原のさわやかな風が通っています。
 早速テーブルを出して昼食にします。この日はなぜかおすしが安かったのでこのようなことになりました。満腹のあとは、かっこうや鶯の声を子守唄にしてしばし高原のなかでお昼ねとなります。
 気持ちよく目覚めた後は周辺を散歩します。蕨もまだ取れます。草原に小さな花がちりばめられています。

 このシナの木は、太くて堂々としているのですが、実は中央部が空洞になっています。2段下は、その中を見上げたところですが、上部に空洞の開放部分があって空が見えます。
 このあと遠野市街までは今では快適な2車線の舗装路になっています。
 ですが、附馬牛(つきもうし、方言ではツギモス)の集落のあたりまで下りて来ると、川から2匹の河童が道に出てきました。見ると近くには河童が乗ってきた自転車もあります。地元の日焼けした中学生が、下校途中に川で水遊びをしてあがってきたところでした。
 もう少し行くと今度は舗装道路の上に、道幅いっぱいに広がって、やはり3匹の河童が甲羅干しならぬ、冷たい沢で冷えた体を路面の熱で温めているところでした。
 少し待っていても良かったのですが、気づかれてすぐによけてくれました。

 リビも0歳の時からこの高原には連れて来ているので喜んでいました。