「初めての広島と島根  2023.06
    
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 現役時に携わった業務内容に係る震災伝承の用務で、これまでに初めて行った県は、岡山・山口・香川・福岡・佐賀・長崎・鹿児島・宮崎・福井・愛知などがありますそれまでに行ったことのある県を除くと、空白地帯は四国の3県、九州の2県、中国地方の鳥取・島根・広島が未踏でした。(新幹線での通過は除く) 今回はそのうち広島と島根に行くことが出来ました。広島はなんといっても安芸の宮島と広島の平和記念公園が行きたかったところです。島根では出雲大社と石見銀山、それにマスコミ等で評価の高い足立美術館 等を訪ねることが出来ました。
 出発は仙台空港です。ここまでは自宅から三陸道を経由してきます。帰りの便が遅くなるかもしれなかったので、キャンカーで来ようかとも思ったのですが、第二駐車場では高さ制限に引っ掛かって入れないようなので、軽自動車で来ました。
 ここから広島空港まで直通便が一日三往復しているようです。
 ちょうどこの日に東北地方も梅雨入りとなりました。機上からの眺めもお上りさんとしては楽しみなのですが、1万メートル以上でも高層雲の下で、たまに薄日で傘(虹色の丸)が出る程度です。
 降下して瀬戸内海上空に差し掛かると島々が見えますので、まあ雨が降っていないだけ天気に恵まれています。
 広島空港からはレンタカーを借りて、宮島口に近い廿日市市に向かいます。ハツカイチとはよみにくいのですが、漢字の十を二つ連ねたところからきているのではないかと思ったら、その通りのようです。他にも三十や四十の漢字もあるみたいです。
 ゆめタウンというショッピングモールにある、みっちゃんというお好み焼き店で夕食をいただきます。
 お好み焼きの定義は、私的には「自分の好みの具をその場で選びながら自分で混ぜて焼く」ものかと思っていたのですが、世の中の一般的な指標ではないらしく、既定のメニューの中から選択するようになっています。
 そしてベースが小麦粉ペーストではなく、うどんとそばが主役の物がこの地では普通のようです。メニューで そば とあったので、日本そばかと思いきや、中華そばでした。出てくるまでわからないものを注文するのもまた楽しみです。
 このあと宿までは同行の長女が運転するということで、私と長女の夫は一杯いただきます。こちらではレモンも名産らしく、お好み焼きと鉄板焼きと共に美味しくいただきました。
 お宿は宮島へ渡るフェリー乗り場のすぐ近くです。左下写真で向こうに見える山が、宮島にある弥山(みせん)です。フェリー乗り場周辺も世界の観光客が大勢来ても捌けるように立派に整備されています。
 宮島口とは、宮島に渡るフェリー乗り場の辺りのことのようです。直近のホテルにチェックインの後、夜の宮島を探訪にでかけます。夏至が近いこの時期は19時過ぎでこの明るさです。まして、西日本では東北よりだいぶ日没が遅くなっています(たしか20分くらい)
 フェリー運航会社は2社あって、どちらも交通系ICカードが使えて便利です。概ね交互に発着していてどちらか早い方に乗るのが普通のようです。カードのチェックは宮島側で行います。普通の鉄道だと改札と出口の2回タッチが必要ですが、ここは1回で済みます。
 夕闇が近づく浜辺に沿って歩いてゆくと、大鳥居や五重塔がライトアップされています。石灯籠にもLEDだと思いますが、電球色・ろうそく色の灯りがともります。昼はすごい人手のようですが、夜はちらほらです。
 この辺りは干満の差が4mにもなるということで、タイミングにもよりますが鳥居に触れられるところまで行くことも時刻によっては可能のようです。このときは少し手前まででした。
 明日見学する予定の社殿もあかりで浮き上がっています。
 帰りは表参道商店街を戻ります。多くのお店は閉まっていますが、顔出し看板等が何個かあります。
 翌朝はホテルで美味しい朝食(いわゆるバイキング)をいただいた後再び宮島に渡ります。
 

島内には数百頭の「野生」の鹿がいて人に慣れているのですが、草むらではない所でもフンが落ちていません。多分管理されている方のおかげだと思っていましたが、やはり朝一番、あるいはそれ以後も随時お掃除をしていただいているようです。

 日本三景 宮島 とあります。あとの二つは天橋立と松島でしたでしょうか。松島は島が散在していて、私的には良さがよくわかりません。天橋立・若狭湾には機会があれば行きたいと思います。
 昨夜は厳島神社には時間外で入れなかったので、中に入らせていただいてゆっくり見学します。現代では名所はほとんどTVで紹介されて、テレビで見た通り という感想も多くなりかねないので、今回もあまり予習はしないで臨みました。
 

大きな干満差という自然現象を巧みに取り入れて設計・造営されています。それに歴史的な背景も重ねて、感心しながら回廊を進みます。
 この朝には引き潮でしたが鳥居はまだ海中でした、でも島を離れるころには鳥居の基礎部分まで近づけるくらい引いていました。潮位100cm以下が目安ということですが、たしかそれより高い予測でも近づけることがあるようです。

 

神社の見学の後、裏手からも見学しながら水路に沿って上流に向かいます。この日の目標の一つが、宮島の最高峰 弥山(みせん)に登ることですそんなに大きな島ではないので、せいぜい200mくらいの標高かとおもいきや、頂上は535mもあります!

500mの標高を全部徒歩で登るには、高齢者なので2時間以上かかります。だと時間的にあきらめるしかありません。でもロープウェイがあるではないですか!でもでも運行開始は9時です…。

 山麓駅まで無料バスもあるようですが、時間があるので紅葉谷公園の中をのんびりと見学しながら歩いてゆきます。
 

山麓駅で始発を待ちながら時程を立てます。午後の予定もあるので、宮島発のフェリー乗り場には、1020分頃に戻る予定で待ち合わせです。山麓駅からフェリー乗り場までは駆け足でも15分以上はかかります。つまり山麓駅には105分頃までに戻る必要があります。

ロープウェイの第一便に乗るのが9時として、山麓駅から往復65分の時間を配分します。駅にある説明板を見ると乗車時間は往復で4060分です。すると獅子岩駅からの歩行往復に使える時間は525分ということになります。つまり獅子岩駅から先は乗継がうまく行ったとしても使える時間は最大25分、登り片道には12.5分という計算です。しかも、帰りロープウェイの発車時刻は15分区切りです。タイミングが悪いと15分遅れの遅刻となります

 

続いて獅子岩駅からの標準歩行時程を見ます(上図)。獅子岩駅から弥山本堂までは20分、頂上まではさらに10分で合計30分(片道)です。これはどう考えても間に合いません。ですが最後まであきらめずに、行ける所まで行く!という弾丸ツアーに出発します。獅子岩駅に到着した時刻が9時18分で、ロープウェイ(下り)発車の9時45分まで、歩行往復27分ほどが使えそうです

 弥山へ向かっては、獅子岩駅から7分の下り坂と13分の上り坂で弥山本堂のあたりに着くのが標準時程です。転ばないようにセッセと急ぎますが、時折階段もあるのと、何せ二人足して135歳では標準の2倍の速度が出せるわけもなく、駅発45分に間に合うために、残り時間が来る時と同じくらいになったところで引き返す決断をします。
 本堂直前の最初の建物「閼伽井(あかい)堂」があるところで9時30分となりましたので、勇気ある撤退となりました。

←左写真の中央のあたりに小さな閼伽井堂が見えます。

眼下に広がる瀬戸内海の景色を眺めながら、獅子岩駅に戻ります。周囲の山々には大きな岩が多く、頂上のあたりまで行ければ屋久島(行ったことはありませんが)のような巨岩を楽しめたのかもしれません

ちなみに、弥山の読み方が難しいのですが、仏教の須弥山(しゅみせん・世界の中心にある巨山)と関係あるのかもしれません。須弥山の四方を守っているのが四天王で、この仏像は各地の物をみてもカッコイイと思える迫力があります。
  獅子岩駅→

前述のように、帰ってくると大鳥居のあたりはすっかり潮が引いて真下まで散策している人がたくさんいます。少し残念ですが残り時間がないのでフェリー乗り場へ急ぎます。

大勢の観光客・修学旅行生が次々とやってきますが、それを捌けるだけの歩道幅・駅通過経路・船内座席や容量 が確保されています。さすが日本の世界遺産の中でも人気スポットだけあって、うまく回っています。

 

宮島口駅前に何やら像があります。蘭陵王ということですが、詳しくはわかりません。予約していた穴子飯とがんすをいただきながら広島から島根の石見銀山へ向かいます。

瀬戸内海の宮島から、日本海に面した島根県の大田市(石見銀山)まで約2時間、中国山地を横断して進みます。私の住んでいる岩手県も山だらけなのですが、こちら(広島・島根)も負けずに山ばっかしです。少し違うのは、こちらでは山の中腹や高い所にまで住居や工場や倉庫等いろんな建物があるところです。岩手の場合には山間の谷に沿ったわずかな平地に建築物は集中しています。インフラに係る仕事に長く携わった経験からすると、上水道の供給が大変なのではないでしょうか。

石見銀山の公共駐車場・ガイドツアーのスタート地点にはほぼ予定時刻、少し前に着きました。この日の午前に弥山の登頂を断念して途中で引き返したので間に合ったことになります。遠隔地のツアーでは特に時程の割り振りが重要です。逆に頂上を目指すことを後から割り込ませたための結果なので、最初から組み込んで、石見銀山ツアーのスタートをあと1時間、いや30分遅らせれば可能な時程でした

下の写真のように町並み地区と銀山地区に大きく分けられます。今回の見学は後者のみです。奥まで片道2.3km45分とありますが、結果的にたっぷり3時間ガイドの方には案内をしていただきました。一人ワンコイン(500円)ですが、経費も考えると完全にボランティアで郷土愛がないとできません

 石見銀山は大田市(おおだし)の大森町にあります。世界遺産登録はだいぶ前でしたが、見学の不便さが一時取り上げられていたように記憶します。でも私の地元にも鉱山跡の世界遺産がありますが、過剰な期待を抱いたり、観光地としての先入観で見ることは避けたいものです。こちらでは住民憲章で遺産と暮らしの在り方をきちんと考えて町づくりをしているようです。具体的にもいくつか指標があって、有料の駐車場は作らないというお話も聞きました。
 鉱山には、鉱山保安法という法律が独立して設けられるほど、危険な業務が多くあります。例えば落下物(鉱石)一つが当たっただけで人は生死の危機に会います。ましてこの鉱山が主に栄えたのは電気も圧縮空気もポンプもない時代です。現在は採掘は行われていませんが、いつも鉱山跡を見学すると当時の人々の苦労がしのばれます。様々な歴史的経過や背景を織り込みながら案内をしていただきました。

案内所の掲示を見ると「間歩」という言葉が多く見られました。使い慣れないのですが、想像通り洞窟という意味のようです。それからお寺の跡がものすごくたくさんあるのが目を引きます。多くが樹林に埋もれてしまっていて、見学歩道に面した斜面の上方から落ちてきた石には文字が刻まれているものが多くありました。全容の発掘調査までは難しいようです。

 明治の頃になって作られた設備では、坑道を隣の山から運んできたトロッコの鉱石を高所から下ろしながら精錬を行ったようで、この仕組みは私の市内でも50年以上前に見学させてもらった選鉱施設などと同様です。(上写真)

お寺についても説明してもらいながら進みます。自動販売機も景観を損なわないように配慮されています。

 多くの坑口には番号があって立入禁止となっていますが、見学コース一番奥の坑道 龍源寺間歩も中を見学させていただきました。通り抜けできるように新たな坑道が設置されていましたが、世界遺産指定後であればこのような改変は出来ないだろうということでした。
 

鉱山資源のある場所を見つけるのに、鉄鉱石であれば磁石が狂うところという方法もあるようですが、そのほかの資源を見分ける方法の一つに、植生があるそうです。特定の元素に反応して多く繁茂する植物を判断指標にできるとのことでした。また川底に流れてきた石を観察することは、鉄でも見られる方法です(鉄分が錆びて赤茶色の石をさがす)。下写真の羊歯(シダ)もその指標植物の一つだそうです。

 

石見銀山の見学を終えて、この日の宿泊地 出雲駅前に着いた後、ツバメヤさんで夕食にします。日本海の海の幸、特にのどぐろが美味しくいただけました。

 翌朝の朝食はホテルでの単価が高額なので、散歩を兼ねて出雲市駅の中を少し見て北側のコンビニに向かいます。すると神々の楽隊オブジェがありました。ガラスケースの中に居る神話に登場する神様たちが定時になると演奏を始めるようです。デフォルメが可愛らしく、期待したいところですが、残念ながら故障中とのことでした。
 今日の目的地は出雲大社です。直接向かうのではなく、稲佐の浜に寄って砂を少し採取します。この砂を出雲大社の指定場所に奉納?します。
 海浜公園状になっていてPキャンも可能かもしれません。でも津波対策の面では三陸に較べると予想波高が小さいせいか少し心配な気がします。
 出雲大社では有料ガイドをお願いしてあるので、その待ち合わせ時間までもう少しあったので、道の駅大社ご縁広場に寄ります。足湯があったのでいただきます。近くの壁には、綱引きらしいポーズのレリーフがあります(下写真)。
 大社正面に伸びる参道の最初の鳥居は工事中で車は迂回して通ります。その次に大学駅伝のスタート地点になっている鳥居の前でガイドさんと合流します。境内には稲葉の白兎にちなんで、たくさんのウサギたちがいますが、全て違うポーズをしています。
 入り口から参道を振り返るの向こうに鳥居が大きくそびえています(左写真)。その右手前に海鮮丼屋さんの看板が見えますが、そこから少し入ったところにある旅館が竹内まりやさんの生家だということです。
 ガイドの方に、出雲大社では何かしてはいけないことはないでしょうかと、初めに聞きました。答えはお心の広い神様ですから特にありませんが、4列の松並木に沿った「通路」は、中央が神様の通る道なので、参拝する人はなるべく外側を歩いてほしいということのようでした。立札がありますが、直接的にそのような呼びかけではなく、松の根の保護のために中央の歩行を避けるような柔らかい表現になっていました。このことは地域の方々の意識にも反映されているのかもしれません。
 神話に登場する稲葉の白兎と大黒様のお話は少しは知っている方も多いかと思います。それにまつわる像などがあります。
 本殿の周りをゆっくり回ります。正面に大きな注連縄がありますが、大きさだけで比べると、この後に見る神楽殿の前にあるものの方が大きいようです。
 稲佐の浜から持参した砂を、他の方とならんで納めます。近くにはモリアオガエルの棲むといういう池があります。山奥に住むというイメージが強いのですが、東北よりは暖かで標高も海に近い所に居るのが意外です。
 早めの昼食は平和そば本店でいただきます。11時少し前で、座ったすぐ後にどんどん混んできました。こちらでは安倍晋三元首相もいただいたことがあるようで色紙がありました。
 メニューは蕎麦と丼物が主です。割子蕎麦の他、親子丼とかつ丼が共に880円と同価格です。普通はかつ丼が高額なので、こちらでは親子丼が吟味してあるのかと考えて親子丼の方をおいしくいただきました。

次の見学ポイントは足立美術館です。美術館とはいっても、日本画を主体とした美術作品と並んで、20年連続で日本一となっている日本庭園が有名です。順路に沿って見学しますが庭園は塵一つなく見事です。

反面展示されている日本画は(撮影できないので写真はありません)間近で見ると、意外に人物や生き物・建物の描写が稚拙なことに気が付きます。遠目で見たバランスではなかなか良いのですが、部分の精密描写には難がある作品が多いように感じました。

 広島市中心部に戻って、夕食は かき小屋鉄ちゃん でいただきます。三陸のかきも頑張っていますが、広島に来たのでこちらの名産としていただきます。

かきの他にも各種海鮮料理を4人で次々と注文して、味も量も満足して宿に戻りました
 翌朝は、朝飯前に広島城を見学します。県庁前の通りを地下道を通って進み、地上に出て東西に延びる大きな通りに出ました。右も左も横断する信号機が見えません。どちらから回れば天守閣に近道なのかわかりません。左(=時計回り)に進んでみました。答えはハズレ。お堀の外を3/4回って東側の入り口に着きました。まだ開放時間前なので建物の見学はあきらめて、原爆ドーム方面に向かいます(右下写真は近道の門。右写真は建設中の新球場
)。

原爆ドームへは畏れ多くて近づけるかどうか不安でしたが、周辺の緑も整備されて、静かに訪ねることが出来ました。海外のメディアの方らしい人も取材をしていました
 以前長崎の記念館も訪れることが出来ましたが、一度は行きたい場所でした。

歩いて平和記念公園に向かいます。

 広島市内では自転車が多く利用されていましたが、歩道をやや高速で走るので注意が必要です。
 一度宿に戻って朝食をいただいた後、再度資料館の中や付帯施設を見学します。この少し前にこの地でサミットが開かれましたが、十分な視察がなされなかったという報道が残念です。
 広島には結構有名な企業があります。球団もあるし。そのなかでオタフクソースの見学コースが評価が高いようだとツアーコンダクターの長女が推薦するので行ってみます。この鳥籠のような建物がPR施設 WoodEeggお好み焼館 です。
 続けて工場内や直売ショップもあって、意外に多種類の調味料を中心とした製品があって好感度が上がりました。
 今回ツアーの最終見学先は大和ミュージアム(呉市海事歴史科学館)です。呉の街に入ると軍港の名残り、といっても現在も「軍港」の一面があるのですが、船舶関係の施設が整っていてそれなりの雰囲気があります。
 大和ミュージアムに近づくと最初に目を引くのは、その向かいにある てつのくじら館(海上自衛隊呉資料館)前にある実物の潜水艦です。(下写真)
 小中学生の頃にはプラモデルをよく作っていましたが、当時はまだ太平洋戦争で使われた兵器のモデルが多く、海軍の象徴が大和でした。航空機では零式艦上戦闘機、戦車では残念ながら旧日本軍のものは経験ありませんが、ロンメルとか突撃砲といったドイツ軍のものを気に入って組み立てていました。
 当時の「模型」作りは、ただ接着剤で貼り合わせて組み立てるだけのことでしたが、たまにみかける精密な艦船模型に惹かれて、いつかは自分もこんなのを作れたらいいなと思いつつ〇十年が過ぎてしまいました。素材の切り出し成型から始める作業は気が遠くなりそうです。館内には様々な艦船の模型が製作者の署名入りで展示されていて、それを見て回るだけでもわくわくします。
 上写真は模型のクローズアップですが、右写真は俯瞰したこの館の主展示である1/10の「模型」を上部階から眺めたものです。
 下写真では背後の人物と比較してとても大きいのがわかります。本物はこれの10倍、ということは体積にすると一千倍ありました。
 こちらのコーナーでは呉で建造された全133隻の写真が数枚のパネルにわたって展示されていました。聞き覚えあるものも多く、このほかに国内では長崎などで戦艦武蔵なども製造されました。
 

館内では単に模型を展示してあるものではなく、歴史的背景や戦争・海軍の流れ等についても説明があります。なかなか限られた時間内で読み切るのは難しいので割愛させていただきました。できれば文章・資料などは入館チケットのバーコード参照などでネット上から復習できるようになっているとありがたいと思います。(ここに限らず多くの同様施設で

 大和ミュージアムの次は、向かいの てつのくじら館 も見学します。海上に浮かぶとさほど大きく感じませんが、陸上では潜水艦は巨大です。建物内での展示は海自の中でも、主に掃海に絞った展示がなされていました。
 

艦の側面に穴があけられていて、建物から直接館内に入って見学することができます。実物潜水艦に入るのは初めてではなく、中学生のころに地元の港に接岸した艦内を一般公開した時に見たことがあります。その際の出入りはハッチから梯子を伝ってだった気がします。

 この展示用の艦は、退役したいわば旧式のものですが、就寝用ベッドやリビングスペースはキャンピングカーにも共通するもので、合理的・機能的な配置がなされています。旧海軍の駆逐艦などでは、就寝は支柱に渡したハンモックだと聞きました。それでは寝返りもできず疲れが取れません。大和クラスでやっと平らなベッドになったそうです。昔の軍の人たちの苦労をしのび、今後兵器を使わなくてもよい社会が到来することを願ってやみません。そんな思いを抱いて広島・島根の旅を終えました。