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岩手から九州へ向かうには、かなり遠いので一般的には空路を選ぶ方が多いようです。でも私的には鉄路の旅も好きなのと、時間は空路より多くかかりますが、費用比較ではたいてい安く済むこともあり新幹線で行くことが多くなります。それと地方空港では目的地への便数が少なかったり乗り継ぎが必要だったり、空港から目的地まで遠かったりと利便性が悪いこともあります。
今回の岩手から鹿児島へはどうでしょうか。空路を検討してみると、花巻や仙台空港からは連絡が良くなく、割引もありませんが、羽田からは一時間ごとに便があります。この便数はANAだけなので、JALも含めると新幹線で行くよりも便数が多いかもしれません。また宿泊とセットになったパックがあり、直前の予約にかかわらず、安価に往復宿泊できるようなので、これを利用しました。 |
東京までは東北新幹線で出て、その先をパックで往復するという、これまでにないパターンでの旅程です。羽田空港の利用は35年ぶりくらいですが、昔と同じく浜松町からモノレールで向かいます。沿線の景色は以前の記憶とはほとんど違っているのですが、おのぼりさんとしてはキョロキョロ眺めながら楽しく進みます。羽田にはターミナルビルが国際線と、JAL系とANA系の三つがあるなどということは全く知らなかったのですが、事前調査のおかげで慌てないですみました。 |
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東京駅から羽田へは移動時間と搭乗手続きを合わせると最低1時間くらいは必要のようですが、保安検査から搭乗口までの歩行距離がとても長いことがあるので、次回は80分程度以上見込む必要がありそうです。第二ターミナルビルにもA〜Dの4つのゲートがあって、向こうが霞んで見えないくらいです。食事の種類も各種摂れるので腹ごしらえをして乗り込みます。パック旅行でも座席指定ができるので、窓際の席を取りましたが、往路では天気・眺望が悪く、撮影はしませんでした。帰路に係の人に聞いたらWifi接続などをしなければ、離着陸や飛行中を含めて撮影しても大丈夫とのことでしたので、またお上りさんを発揮して撮影しまくってきました。 |
さて鹿児島空港に着くと、来年は明治維新150年でカウントダウンをしているようです。せごどん(西郷隆盛)の砂像もあります。用務・宿泊先は鹿児島市内なので、空港バスでの移動を予定しています。バスは10分毎に出発するのですが、飛行機で到着した人のかなりの割合が鹿児島市内方面に移動するであろうと予想して、さっさと歩いて出口に向かいます。バスの定員はB787の定員より相当少ないので一度には乗り切れないものと思われます。 |
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航空機の座席位置を予約するときには、たまにしか乗らないおのぼりさんは、景色を優先して窓際を選びますが、前方の席は早く埋まっていることが多いので、翼の上も見えにくいこともあり、後方の席になります。すると、乗機の時には特に支障はないのですが、降機の際には順番が後の方になってしまいます。今後は時間優先の場合には通路側でも前方の席が良いかもしれません。使い慣れている人には常識のようですが。
バスの料金は調べておいて小銭も分けて封筒に入れておいたのですが、待っている人の列に並んでよく見ると、停留所の近くにバス券売り場があります。もしかして切符を買っておかないと乗せてもらえないのでは?と不安になりましたが、空港バスは乗車の際に現金で支払いをすれば大丈夫でした。 |
バスは鹿児島中央駅(九州新幹線の終点)東口に到着しますが、他の多くのバス路線が出入りするところではなく、右写真の奥に見えるビルの1階に到着します。たまたまそこが予約した宿泊施設だったのですが、次の予定の「シティビューバス」へは、手前の発着所へ地下道を通って移動します。 |
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駅前には「若き薩摩の群像」という19人の像が立っていて、鎖国時代に極秘裏に英国まで留学した若い人々の説明版があります。最年少は13才で、帰国後それぞれに明治維新の時期にあって大きな活躍をする方々です。詳細は割愛しますが、九州と東北を比べると、良し悪しではないのですが、文化的に相当進んでいたことと、多くの人材を輩出していたことで、とても大きな違いを感じます。
鹿児島中央駅は、左写真の左側黒っぽい建物の2階にあるようですが、像の右むこうにあるアミュプラザの方でお土産を買ったりしました。屋上にはなぜか巨大観覧車があって、夜間はイルミネーションが冴えます。
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鹿児島市内の移動手段は、路面電車と定期路線バスのほかに、観光スポットを定額190円で回る「シティビューバス」 が約30分間隔で運行されています。
余談ですが用務があって十数カ所に出かけたのですが、路面電車が走っている都市も結構回ることが出来ました。岡山・長崎・福井・函館、そして鹿児島です。どちらの都市でも、なぜか車両の形式がいろいろとあって、現代的なデザインから、レトロなものまであります。鹿児島の市電の特徴としては、自動車が乗り入れない部分の走行レーンにきれいに芝生が貼って手入れがなされていることで、都市景観に潤いが出ている感じがしました。 |
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鹿児島市内、初日の目的地は「仙巌園」です。島津家の桜島を借景にした庭園だそうですが、私の目当ては園内にある明治日本の産業革命遺産の構成要素の一つである集成館の見学です。これまでに構成遺産のうち行った(見た)ことがあるのは、地元の橋野鉄鉱山のほか、長崎の軍艦島と造船所、佐賀の三重津海軍所跡です。他の都市においてどのような公開の仕方をしているのかも関心があります。
シティビューバス(左写真)の車内は展望がよく、いっぱい乗った場合でも立ち席用の手すり等が充実しています。鹿児島中央駅前から市内の名所を回って仙巌園までを周回して戻ってきますが、前述のように乗車区間にかかわらず、一回乗車で190円です。一日バス乗車フリーパスのようなものがあって、そちらは600円ですが、この日は往復だけしか乗らないので現金払いにしました。ちなみに鹿児島市内だけのIC乗車券があるようですが、SUICAなどとは連携されていないので、残念ながら使えません。 |
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仙巌園の中にある実物や模型復元遺跡です。右上と右の写真は反射炉模型と跡地ですが、構造がよくわかります。「反射炉」というと、太陽光の反射熱を使って鉄鉱石を溶かしたりするのかと以前は想像していたのですが、そうではなく横長の炉内で熱風を反射往復させるような構造になっているようです。詳細は専門資料に譲りますが、煙突が高いのは戻る炎道が下向きになるところがあるので、吸出し能力を高めるために長くしてあるものと推定しました。 |
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歴史はあまり詳しくないのですが、江戸から明治時代にかけて、諸外国と渡り合うために、人材・技術・軍備などの面で九州ではめざましい進歩改革があったことがわかります。
尚古集成館では内部にそれらの貴重な資料が展示されていますが、例によって撮影禁止になっています。いつも思うのですが、なぜ撮影禁止なのでしょうか。著作権などは法的に皆切れてしまっているはずですし、ストロボを点けて撮ると傷むということでしょうか。ならばストロボ撮影禁止とすればよいし、そもそもそれだけの光量でどれくらい傷むのか、科学的な分析データが欲しいところです。寺院・神社が撮影禁止場所が多いのにも不満がありますが、科学技術の礎となった設備ではまた不合理を感じます。 |
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島津家の日本庭園も駆け足で奥の桜島が展望できるところまで見学してきました。この日の予報は鹿児島は雨で、羽田を出発する時にも飛行機が戻る可能性もあるアナウンスがあり、実際にこの日は富山は着陸できなくなっていましたが、大丈夫でした。園内散策中も傘を開くことなく、帰りのシティビューバスに乗って戻ってくることが出来ました。ただし、このあと激しい雨になり、町の散策等は割愛しましたが、夕食やおみやげ物購入等は全て地下や屋内で済ますことができました。 |
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出張中も、少し前に鹿児島に来たことのある長女とメール連絡をしていて、オススメのポイントを教わって行動計画に活用します。この日の宿は素泊まりの予定でしたので、町の中で夕食出来るところをさがします。中央駅から地下道を通って、ホテルのエレベーター地階に行く途中にちょうどこちらのお店があって、長女のおすすめでした。一人でも入りやすそうなので入ってみました。写真は食後に撮らせてもらったのですが、お願いしてお店のお姉さんにも出演いただきました。
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いただいたメニューは焼き鳥(タレ味)5種セットと、漬物と、親子丼(小さいず)とビール、最後にケーキです。ビールは近頃はチュウジョッキとは言わずに、ナマチューというのが普通のようで、こちらでもそうでした。店内厨房も見えるようになっていて、許可をいただいて写真を撮りました。味は、これまで食べた焼き鳥の中で一番おいしいかもしれません。親子丼も同じく。唯一難点を言うと、最初に親子丼が出てきたので、酒・つまみのあとに主食という、多くありそうなパターンではありませんでした。味噌汁だけのメニューがありませんでしたので(ごはんとお新香もセット)、価格はセットで140円なので、その価格でいいので、味噌汁だけくださいと言ったところ、割引価格にしていただけました。ありがとうございます。ごちそうさまでした。 |
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九州は東北に比べて大雨に見舞われる機会が多いためか、地下道からバスターミナルや近くの建物に至る通路には、要所に屋根のかかった部分があって、皆さんそこを通って往来しておられます。左は駅ビルとアミュプラザの間の広場に係る大屋根(テント生地張り)です。 |
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上と右の写真は、ANA楽パック(羽田鹿児島往復航空券+自由選定の宿2泊で38,500円)で泊まったソラリア西鉄ホテル鹿児島です。いつも出張時に利用するクラスのホテルよりはやや高級ですが、パックだと価格差がほとんどなかったので利用してみました。間違って喫煙を予約していたのですが、その場で禁煙に変えてもらえました。部屋はダブルベッドで各種備品も充実しています。浴室と洗面トイレは別になってバスタブもゆったりです。朝食は予約していなくても1250円でいただくことができます。ビュッフェ形式(いわゆるバイキング)ですが、正直、私が今まで食べたことのあるどこよりも味・品数・種類とも充実していました。どんどんおかわりしたかったのですが、超満腹になる前の、おいしさの盛りで締めくくりました。 |
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この日は用務のある午後まで時間がありますので、鹿児島中央駅始発の、鹿児島市交通局定期観光バス、桜島巡り号に乗ります。新緑と、記録的に開花が遅かった(この時点で岩手も開花)桜を見ながらバスは桜島へのフェリー乗り場につきます。
長距離フェリー(経験では八戸〜苫小牧など)では、車両は運転手だけで乗降し、乗員は別に歩いて乗るのですが、こちらではバスに乗車したまま乗り込んで、そのあと客室に移動するようです。
また、船の船首と船尾は、両方向に進めるようになっていて、乗った車両は下船時にはそのまま前方に通り抜けることができます。操舵室も両方向についているようです。 |
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最初のビューポイント、湯之平展望所に来ました。桜島というと、時折ニュースで噴火や降灰の様子を聞くので、全山緑はほとんどなく火山礫に覆われているのかと想像していたのですが、緑も豊富にあります。また崩落による被害を未然に防ぐためのダム状構造物もあちこちに見えます(右写真の中央)。 |
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バスは島を時計回りに一周します。海辺の所々に左写真のような船着き場がありますが、噴火時に陸路が絶たれた場合、ここから船で脱出するのだそうです。建物は火山礫に耐えるように丈夫に出来ていて、中には公民館を兼ねている所もあるようです。
また、避難壕も随所にありました。日本語だけでなく英語・中国語・韓国語でも表示されています。ちなみに島内で乗車した人のほとんどは外国人で、多分日本人は私を入れて2人、あと8人が各国の方々でした。
バスは所々の観光スポットで止まりますが、おススメの土産物店にもよります。店の裏手の遊歩道にも、火山礫に埋もれた鳥居がありました(左下写真)。 |
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有村溶岩展望所でも自由時間が20分ほどあって、園地の遊歩道を端まで歩いてみましたが、階段や勾配アップダウンがあって、心肺の鍛錬になります。桜島は今は東側の大隅半島と陸続きですが、大正時代に溶岩流で繋がる以前は完全に島だったのだそうです。
右写真は、せごどん(西郷隆盛)の横顔に見えます。来年の大河ドラマはこの人についてだそうです。また明治維新150年のカウントダウンを以前から行っていて、あと1年になりました。ということで鹿児島では盛り上がっています。
火山災害にもいろいろな形式がありますが、磐梯山などのように山体崩壊で全体が滑り降りてくるような物にならずに、生活が維持できる状態が長く続くことを願っています。 |
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桜島から鹿児島市内への帰りも同様にバスに乗車したまま船に乗り込みますが、丁度昼時で、ガイドさんに教えてもらったので、昼食をあらためて食堂に入る時間節約も兼ねて、船内のお蕎麦屋さんを利用させていただきました。乗船時間が15分程なので、食べるのが遅い私としては少し心配しましたが、稲荷すしも含めておいしくいただいて、船内の他の部分も見学する余裕がありました。
その後放送された、雲爺が空から日本を眺める番組でもこのフェリーが紹介されていて、防災も兼ねて24時間運航されていて、地域住民の足となっていることがよくわかりました。 |
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フェリーにも何種類かあって、往路ではハイブリッドということで静かな船でしたが、今度の船では甲板が2層になっていて、2階部分にも車両を積載できるようです。当然陸側の設備も、2階部分の高さで直接車両が乗下船できるような可動式の通路が備え付けられています。
鹿児島市内での目標はもう一つ「しろくまアイス」をいただきたいのですが、用務のある所までの時間配分を考えると天文館での下車と移動は難しいようです。ガイドさんに聞いたら駅ビルの地階にも
むじゃき の支店があるということでしたので、訪ねてみました。 |
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店内では最初に、食事かしろくまかを訪ねられて、案内されるようです。私は、多くの人がそうであるような、冷たいアイス類を続けて食べるとアタマが痛くなるという症状は出ないので、安心して食べ始めます。ふつうのかき氷と何が違うのか食べてみました。普通のかき氷では細かい氷の山の上にシロップ類をかけるのですが、それだとどうしても味の染み渡らない氷だけの部分が出てきて満足感の減少につながってしまいます。 ところがこちらでは、想像ですが味の付いた氷をすり下しているのではないかと思いました。均一にミルクの味が伝わってきます。満足して食べ終わって、このあとの用務も含め、鹿児島での2日間を充実したものにできました。 |
往路も帰路も、機内の座席指定は北側=陸側に席を取りました。往路は雨雲で何も見えなかったのですが、帰路は最高の天気で、おのぼりさんとしてはキョロキョロと眺めたり写真やビデオを撮りまくってきました。
地図と照合すると、九州東方の海上に出た後、四国の足摺岬・室戸岬をかすめるように東進し、紀伊半島南端の潮岬にある紀伊大島も良く見えるところを通過します。少し前に見た「海難1890」でも紹介されましたが、トルコの軍艦が遭難したところです。130年近くも前のことを覚えてくれていて親日であるトルコには親しみを感じます。出来ればオリンピックも東京ではなくトルコで開いてほしかったのが私の気持ちですが、その後の紛争や難民で苦労をなさっているので心配している所です。
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一方日本が統治していた時代にインフラや教育によって国民生活の向上を成し遂げたりと、欧米諸国の搾取だけの植民地化とは違う施策を行っていたにもかかわらず、都合の良い部分だけ日本を悪者扱いして、現在も悪口しか言わないような隣国には、残念ながら親しみは持てません。
話がそれましたが、空から国土を見ながら、いろんなことを考えて帰ってきました。
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