「やくらい と おがち」  2016.09.17-18
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 岩手・宮城・山形・秋田 の4県が堺を接するのが栗駒山周辺です。岩手と山形は直接の県境はありませんが、山麓やトンネルを走るとぐるっと回ってこられます。今回は宮城県内での初めてのスポットも含めて楽しんできました。
 
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 キャンピングカーを使った旅では、山の中や河川・海岸などに泊まる場合を除くと、道の駅での車中泊が多くなります。泊まらない場合でもトイレやその土地の特色を知ることができるので、たいていは立ち寄ります。
 前泊は種山高原のそばにある「ぽらん」です。あまり通過台数の多い国道ではないのですが、車中泊をする方も多くなく、私たちの他に1台だけのようです。インフォメーションコーナーは他の道の駅では夜間閉鎖になる場合が多いのですが、こちらでは一晩中利用できます。照明も煌々とフル出力で点いているようです。その明るさを除けば中で寝るには快適かもしれません。この日は3名様程がご利用でした。(右写真)

 いつものパターンで、目が覚めると少し走ってトイレのある所まで行って朝食にします。今回は経路上の次の道の駅「みずさわ」です。こちらの駅は国道4号からそれているので、私も数年前までどこにあるかわかりませんでした。手書き掲示物が多く個性的な雰囲気の駅です。(写真下)
 前沢から国道4号に乗り、高速道は利用せずに宮城県大崎市(旧 古川)を目指して南下します。次のポイントは「羽黒山公園」という所で、この時期は彼岸花が群生開花するようです。もうじき彼岸花の里まつりが開かれるようですが、5日早いせいか、まだ開花しているのは一部だけで訪れる人もまばらです。私的には実物の彼岸花は多分見たことが無かったのでよかったです。
 
 場所はこちらにあります。階段を上がってゆくと草地の広場があって子供が遊べるところもあります。春には桜の名所でもあるようです。こちらの公園の由来はまだ勉強していないのでわかりませんが、構造的には小さなお城があったところという雰囲気です。歩道の一部に古い石組がありました。100m四方位が盛り上がっていて、その中心部にさらに小高いところがあります。天然の地形に少し人が手を加えてあるのでしょうか。
 次に向かったのは、加美町にある「やくらいガーデン」です。(途中で加美町のイオンスーパーセンターに立ち寄ったりしました)スキー場もある薬来山の麓にある庭園で結婚式などにも利用できるような設備があります。入場料700円ですが、JAF会員ということで100円ずつ引いてもらえました。
 広い場内には各種の花がまとまって咲いているエリアやローズ・ハーブガーデン、芝地のイベント広場などがあります。
 
 この季節は黄花コスモスが活躍しています。中には普通のピンクや白のコスモスも混じっていたりします。→

 この日は野外での結婚式があるのか、スタッフの方が準備をしていました。↓

 
 そしてイベント広場では、アンデス音楽の兄弟デュオ「カルパンディーナ」(ペルー)の音楽を聴くことができました。コンドルは飛んでゆくの他、聞きなれた曲も多く取り上げてくれていまして、「花まつり」(元は現地の曲)も聞きたかったのですが、時間が取れなくて途中で失礼してしまいました。演奏の一部をこちら又は左の画像クリックご覧ください。
 加美町から拡幅工事の進むR347を峠越えして、尾花沢の道の駅で休憩のあと、新庄を経由して途切れ途切れの高速道を北上し秋田に入ります。当初予定では、にかほ高原あたりに一泊しようかと思っていたのですが、行程を短くして道の駅おがちこまちに宿を変更しました。
 院内銀山跡に幟が立っていたので向かってみました。でも残念ながらイベントはまだ後の週のようです。
 昔、このような山奥に大勢の人が鉱山に係る業務に携わっていたことは看板が無ければ、現地では坑道入り口や墓地があることくらいでしか知ることが出来ません。渓流の響きと、木々が風で囁く音だけが、昔から変わらず続いています。
 少し前に秋田大学で保存している秋田県内各鉱山の図面について、ネット上で公開が始まりました。こちらに院内銀山の物もあります。左にその一部拡大ですが、鉱内で働く人たちの過酷な状況が伝わってきます。

 電気が無い時代に、照明は煙を吐く燃焼でしか取れません。換気装置もエアーダクトのようなものは作れませんので、坑道内の空気汚染は想像を絶するものになったと思われます。
 鉱内の湧水溜水の排水も人力によるしかありません。現代であれば高揚程のポンプを入れれば済むのですが、当時は一人分で2・3メートルの揚程しか取れない手押し(引き?)ポンプを、多段配置して使っていたようです。私が数えたところでは水替え人夫の段数は25人にもなります。おそらくポンプ本体は竹筒で出来ていたのではないでしょうか。

 昔からの各種作業を見ていて思うのですが、機材の加工精度や耐久性が高く取れないためか、腕力による作業が中心です。これを足の力を使った方法にすることができれば、足は腕の3倍の力がありますので、作業能率も倍以上にはなったはずです。それにこの姿勢では見ただけで腰が痛くなりそうです。
 カナダとアメリカの国境にあるリドー運河のロック(水路に多段の水門を取り付けて、高低差のある水面間に船を通す仕組み。パナマやスエズも同様原理)を世界遺産の番組で見ましたが、ウィンチによる開閉の動力源はすべて手回しのようでした。鉄製の歯車を加工できる時代の物ですので、ハンドルの手回し部分を、自転車のべダルのようなものに付け替えることが出来れば、かなり楽になるか、スピードを上げることが出来るはずです。
 これは現代の機器でも言えることで、バルブ・ゲートなどのハンドルは数百回まわさなければならないような装置でもすべて手回しになっています。プラント機器製造メーカーにはぜひ改善を願いたいところです。ま、これも現場で働いたことのない人が設計を担当している限りは難しいことで、永遠に改善しないかもしれません。
 よく利用する道の駅おがちにやってきました。この道の駅の北西側の駐車区画は植栽と歩道に囲まれて落ち着いて車中泊が出来ますので、知る人には人気のエリアです。トイレへも一部屋根が付いているので往復が便利です。
 いつもより早めで16時前に到着しましたので、隣の産直で漬物や果物を求めてきました。16時で店じまいのイベントがあって、牛串を安くしていましたのでGETして、ビールのつまみにします。
 バイクでツーリングする人も多くこの道の駅に立ち止まります。閉店した後の屋根付き部分はテントを張って泊まるのに好適です。車のグループでも屋根下のテーブル・椅子を利用して会食歓談している人たちがいましたが、みな翌朝にはきれいに片付いていて安心しました。みなきちんと常識をわきまえて行動できれば無用な規制をなくすることができます。
 翌朝に移動をしようと国道に乗りましたら、一昨年までは見かけなかった建物や公園のような設備が見えましたので、また戻って歩いてみました。小町の郷公園がH27に開かれたようです。園内は広大で右写真の建物の緑格子の部分は開いてステージが出現するようです。子供が遊べる区画などもあって、なかなかおもしろい雰囲気の公園です。
 道の駅と道を挟んで隣接するこちらの小町の郷公園にも別途公共トイレや広い駐車場が東西にあります。でもトイレは日中しか利用できないのと、駐車場がオープンな環境のためか、Pキャンする車は多くありません。
 道の駅を災害対応の拠点として活用するような構想もあるようですが、各地の道の駅を見て感じるのは、バックヤードになりうる土地の物理的な広さに余裕のある道の駅があまり多くないということです。
 東日本大震災(私は「東北太平洋岸大震災」だとおもっていますが)において、支援拠点として非常にお世話になった遠野市では、道の駅ではありませんが運動公園に多くの救援組織が集結・活動してくれたそうです。車両が集結するのに余裕がなければ目的を達成できません。隣接する都市間で相互に救援できる体制を含めたバックヤードの整備が必要です。

 今回もまた小さな発見をして得な気分で帰途につきました。