男鹿半島へ」
                   2013.11.02-04
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2013年11月連休の目的地は男鹿半島です。経路は一関から入って、毎年通っている須川高原温泉を越えます。
 須川温泉から男鹿半島までは長いので、立ち寄った須川温泉での全身入浴は無しで、足湯だけにします。いつものとおり、宿の近くの流れは熱いのですが・・・
 今年は少し上のほうにある宿の源泉まで歩いて、その横のほうから流れてくるちょうどよい温度のところを見つけました。
 もう少し上っていって蒸気浴の小屋に来ました。もう2〜3日で道路も温泉も閉鎖になりますので、冬篭りの準備がされています。一般的な冬じまいと違うのは、蒸気の出口がそのままなので戸板を外した状態にしてあります。
 少し横になって背中を暖めながら窓の外の青空を眺めます。(左写真・ROで蒸かし湯)
また宿のところに戻ってきて、売店でおやつをいただきます。この日いただいたのは岩魚の塩焼き、きのこ汁、玉こんにゃく です。流れる湯の川のほとりにあるベンチに座っていただきますが、格別においしくいただけました。



 何日か前に東北の高山では初冠雪が観測されたので、晴れた空に雪をかぶった鳥海山が映えています。

 男鹿半島の入道崎には結構距離がありますが、最初は一般道で向かいした。天気は夜から下り坂になりますが、今夕までは晴れそうです。日本海に突き出た入道崎は夕日がきれいなはずです。
 アウトドア用の腕時計で、本日の日没時刻を見ると16:44です。ナビの到着予定時刻を見ると結構オーバーしそうです。経路を切り替えて高速道を利用することとしました。高速を降りてからもかなりあるのですが、昔と違って入道崎まで直線的に進む道がありますので、周りの車の流れに乗ってけっこう早く着くことが出来ました。
 入道崎に着くと陽はだいぶ傾いて、もう数分で水平線に沈むところです。予定時刻より少し早いです。日没時刻は日本標準時(東経135度の明石市のもので、東日本(東経140度の線は至近の八郎潟を通る)では日の出も日没もそれよりも早くやってくるのでした。この日の実際の日没時刻は16:36頃でした。
 太平洋岸に住んでいると、晴れた水平線に沈む夕日はめったにみることができなくて、これまで多分3回ほどだけでしたが、満足が行くまで眺めることができました
写真では中心の太陽は白っぽく見えますが、肉眼では真っ赤に見えます。
 台地状の草原では、大勢が日没を見守っていました。ウチの車にも夕陽が反射してイルミネーションを点けたようです。↓


 右写真ROで、日没一時間後をスローシャッターで撮影した海のようすです。(だいぶ増感されています)
翌朝は半島の西岸をまわります。八望台は多分初めて上りましたが、社会科で習ったマールなどの火山性地形を望みます。展望台と大きな駐車場がありますが、あまりやってくるお客さんは多くないようです。
 見所が点在しますが、船からのアプローチが一般的なところが多いようです。半島を回る道路から山側に「赤神神社五社堂」というところがあり、駐車場・休憩所があります。駐車場から五社堂までは15分ほどということですが、あまり急がなくても10分ほどで着きます。ただし膝の悪い方や不整地のバランスがうまくとれない方はやめておいたほうが良いかもしれません。
 私たちは知らないで訪れたのですが、吉永小百合さんがロケをしたところという看板が立っていました。この3日後に上京して山手線車内の動画工広告で、このCMが流れていました。JRグループで秋田ディスティネーションキャンペーンというのをやっているようです。岩手のテレビでは秋田の県立美術館編のCMは見ましたが、これは私はまだ見たことがなかったです。→その後「なまはげ編」として放映されているのを確認しました。
 赤神神社五社堂は、その名のとおり五つの社殿が並んでいます。現在の社殿は300年ほど前に建てられたようです。
 社殿の正面上部の左右に、梁の先端に彫刻した造形があります。それらが一つの社ごとに違うのに妻が気づきました。向かって左側の社殿から撮ってみました。
 左上の写真から順に、鶏・豚・象・獅子などが居ます。(ちがうかも知れませんが)最後のものだけが何の種類かわかりません。

 この11月の初めから、キャンペーンに合わせて、ふもとの駐車場に観光協会の方?が詰めて案内をしたり、甘酒・玉こんにゃくの販売もしていました。
 さらに男鹿半島の西岸を南へ回ってゆきます。
 こちらの地図を見ますと、海上に何か印刷ミスのような白い模様が見えます。これは干潮時にかなり沖合いまで歩いてゆけるくらいの遠浅の岩場になっています。そろそろ上げ潮なのですが、岩の隙間を覗き込みながら歩いて戻ってくる人が居ました。聞いてみると、蛸が捕れるのだそうで、腰かごに入れてきたのを見せてもらいました(写真はありません)。大勢捕りにきているとのことで、もう少し先にいくとまだかなり遠くの波打ち際でがんばっている人たちもいました(上の写真のRO)。
 三陸の海に比較して海草などが少なく、小魚もあまり見受けられませんが、蛸の他、右上のようにツブ貝も居ました。
 寒風山に西側から登って行きます(もちろん車で)。火山性の成因らしく、中腹には草木に覆われない岩石が累積しているところや、火口原らしいところなどもあります。
 回転展望台からゆっくり眺めようかとも思ったのですが、小雨が降っていて見通しもあまり良くなく、駐車場から歩いて往復するのもやや億劫なので先に進むことにします。

 八郎潟は以前は琵琶湖に告ぐ日本第二の湖でしたが、現在は干拓されて水面はだいぶ小さくなっています。事業完了後間もない40年ほど前にとおったことがありましたが、その後道の駅・干拓博物館・温泉施設などができてからはよく見たことがありませんでした。
 道の駅おおがた の敷地内には、遠野市の道の駅にもあるスパイラルマグナス風車が立っています(右と下写真RO)。棟続きには干拓博物館があります(下写真)

 干拓博物館は、以前から知りたかった技術的な内容や自然科学的・人文的な経過についても教えてくれそうなので興味津々です。
 その前に道の駅のレストランで昼食をいただきます。カツカレーと ?そばです。味についてのコメントは控えさせていただきます。
 技術的に疑問だったのは、山手線がすっぽり中に入るという面積をどのようにして湖底から農地へ変えて行ったかでした。
 つまり、埋め立てて水面より高いところに農地を作ったのか、それとも干満に合わせて開閉する水門を使って満潮時よりは低いところを農地としたのか・・・でした。
 埋め立てるには運搬に必要な土砂の量があまりにも膨大です。かといって水門の開閉だけでは干潮時水面よりも低かった湖底の部分をどうやって農地にするのかわかりません。

 博物館を見学してわかったのは、農地を囲むように堤防を作り、その内側の水をポンプで堤外へ排水して、干上がった部分を農地にしているのでした。
 農業用の水は堤外から汲み入れます。また雨が降れば堤内に水がたまります。それらの水は2箇所にあるポンプステーションで堤外に排出しています。
 つまり埋め立てとは違って、人為的に排水作業を行いながら農地全体を維持しているのでした。 
 ほかにも干拓作業や農地造成に関わる、いろんな方々の苦労の上に食糧増産が成り立ってきたことがわかりました。村内の直線道路は先が見えないくらい真っ直ぐです。

 北海道の十勝平野にあるモール温泉に似た、透ける茶緑色っぽい、ポルダー潟の湯に入って鹿角市へ向かいました。


           完