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掲載期間 H29.8.05〜12.08

2017.12.08 水路のスクリーン
 わが家の前の通りは、昔は宿駅があった史跡になっています。往復で2車線の道路の中央に水路があり、水道が普及する以前は上流の湧き水をここに通して、食器洗いや収穫した野菜を洗うのにも使ったとのことで、タダで便利な反面、食中毒系の病気はここを通して広がりやすかったそうです。
 開渠であったために人馬ならぬ、自転車や自動車が転落する事故が多く発生していました。文化財的な価値と実用性の折衷案で、水路は暗渠にするものの、上部に石組みで水路跡であることがわかるようにと、数十メートルの区間だけ開渠を復元構成してあります。 この水路の上流部は開渠のままですが、暗渠になる入り口は、大雨など水量が多い際に人、特に子供が吸い込まれると大変危険です。
 このため以前から所々にバースクリーン(縦方向が主の網)が設置されていました。しかしごみが流れてくるとスクリーンは徐々に目詰まりして、水が道路にあふれることが頻発しました。このため近くの人は頻繁な掃除が面倒なのでスクリーンを上げておくようになります。でもこれでは当然危険です。省力化と安全の両立が必要でした。
 そこで私が某所に依頼して作ってもらったのが写真のようなスクリーンです。ミソは、下部にスクリーン目幅と同じくらいの隙間を開けてあることです。流れてくるごみのうち、除去しなくても水路本体が詰まらない程度の物は、そのままこの下部隙間から流下してゆきます。また上部にはゴミ取り作業用の足場と安定性を兼ねて縞鋼板を張ってあります。大掃除等必要な場合には全体を外すのも簡単です。当然子供が吸い込まれる危険が無いように、水流の力と目幅を勘案してあります。十数年経過しましたがうまく活躍しているようです。
2017.11.25 田老鮭あわび祭り
 2017年は、サンマ・鮭が不漁で、イクラの泥棒までニュースになる始末です。あわびもあまり採れないようで店頭でみかけません。でも当地で としろ と呼ぶあわびの内臓は見かけたりするので、干鮑(かんぽう)などで流通する分はあるのかもしれません。毎年田老(宮古市)で開かれているこの祭りでは、さすがに名称に あわび が入っているので、売っていないことはないだろうと、午前中日帰りで行ってみました。
 直前に開通した、三陸沿岸道路の山田宮古道路を通ってみるのも楽しみです(下図は三陸国道事務所のHPから)。トンネルには中央分離壁があり、照明は白色LEDで(多分)、幅が十分あって白っぽく明るく感じます。
 高校生の頃に宮古の浄土ヶ浜まで往復132kmほどですが、自転車で日帰りをしたことがありました。アップダウンやトンネルがあるし、けっこう大変な道でした。当時と国道は基本的に変わりませんが、この高規格道開通で、一気に状況は変わります。下図のH23.3開通区間は、3.11の1週間前で、被災後の避難路としてとても役に立ちました。仮に交通量が少なかったとしても、都会とは違った意味で、道路は重要です。
 会場は「田老万里の長城」と呼ばれた防潮堤(陸寄り)と国道の間です。隣接して道の駅が半分移転中です。少し早く到着したので周辺を観察散歩しました。防潮堤の上を歩いてゆくと、海寄りにはさらに高い防潮堤が建設中です。また震災遺構のホテルも間近です。
 スタッフの皆さんが活躍しています。下見にぐるっと店舗を回りますが、イクラは100g1000円もします!あわびは生きた物を売っているのは1か所だけで、開店30分前には数人並び始めたので、私たちも並びます。
 
 待ちながら周囲を観察していると、子供が中に入って跳ねて遊べるようなエアクッション(名称不明)遊具に、空気を入れて膨らませ始めました。(下の4枚の写真) 4枚目右端の写真は、一度組み立て終わったものの、下に敷いたマットの位置からはみ出たので、皆で押して傾けて敷きなおしているところです。
 鮭のキャラクターで、ゴリラとかの汎用品と違ってオリジナル製品は珍しいです。でも難を言うと子供目線にはちょっとコワイかもしれません。前回来た時には同じキャラでの着ぐるみがサービス巡回していましたが、怖がって親にしがみつき泣き出している子もいました。
 あわび屋さんの前では炭を熾してホタテを焼き始めましたが、開いてひっくり返し始めた頃の、予定より20分前にあわびの販売が始まりました。
 並んでる人の中には、去年まで売る側だったというおばちゃんなどもいて、干鮑に大きい個体を持っていかれるので、ここでは小さいのしか売られていないとか、冷凍は道の駅の売店にあるとか、解説してくれています。
 私の番になったので「小さいのは入れないでくださいッ!」と勇気を出して言ってみましたら、まあまあの大きさのを盛ってくれて、1kg(=11,000円!)分を買って帰路につきました。1個で約1,000円くらいでした。

2017.10.31 胆沢平野(扇状地)の灌漑設備
 奥州市は、水沢市・江刺市・前沢町・胆沢町・衣川村 が合併してできましたが、日本でも最大級の規模である胆沢扇状地のあたりはあまり行ったことがありませんでした。毎年春になって田んぼに水を通す時期になると、円筒分水工の様子がテレビで紹介されますが、この設備も規模的に最大ということです(直径だけでみると山口県の物のほうが大きいそうですが、通水能力なと総合的にみるとこちらが大きいのだそうです)。まだ見たことがなかったので、見学に行きました。場所はこちらにあります
 残念ながら、分水工が稼働しているのは田んぼに水を流している期間だけとのことで(近くの産直のおばさんの説明)で、装飾用に噴水がタイマーで吹き上げますが、それもこの日までのようです。

 周辺は散策路や公園のように整備されていて、分水工に至る導水路や、高さから判断して別系統の頭首工や取水ゲートなども並んでいます。
 通水していませんが動画でご覧ください

 円筒分水工については、細かな説明は省略しますが、胆沢川だけでは胆沢平野全体への供給では不足する農業用水を、平等に分けるために設けられたものだそうです。丸い縁からあふれ出る水が、ドーナツ状の水路に落ちて、二つのゲートから流れ出ますが、どこかに二つを仕切る壁があるのかと思いきや、特になくて、方向性がなく水平に広がる水の、自然な流れに任せる構造のようです。
 噴水は一日数回、15分間ほどです。近くに下りてゆくと風向きによっては水をかぶりそうなので要注意です。産直売店で野菜や漬物を買って次に向かいます。
 分水工から胆沢川の上流にある胆沢ダムです。完成前には来たことがありますが、ダム上部の管理棟や広報館が出来て、水が流れている状態からは初めてです。建設中の広報館はダムの下にありました。
 紅葉が見ごろで、次々に見学の車がやってきます。先ほど見学した分水工は、水需要がピークの時に、あまり流量の多くない川の水を分けるために作られましたが、ダムは川の水量が多いときに貯めておいて、需要のピーク時に多く放流して、農業用水の渇水を防ぐためにあります。
 現在は水没してしまっていますが、上流には石淵ダムがあって、戦後間もない資材もお金も不足している時期に建設されたロックフィルダムということで、広報館の中に別コーナーで紹介されています。
 左の写真で右上にある白いものは点検用のボートです。左上奥にあるポコンとした山は、猿岩だと思われます。(地形図はこちら)
 上記の石淵ダムを造った際にはこの岩を切り崩して堤体に積み上げたと記憶しています。(未確認)
 地形図にもありますが、ツブ沼の畔にはキャンプ場などがあります。40年ほど前ですが、近くの石淵ダムまでバスで来て、ツブ沼で休憩した後、焼石連峰の縦走に同級生と恩師と三人で出発したことがありました。当時もレストハウスはあったような気がします。現在のキャンプ場にはキャビン等もあって立派そうなのですが、利用されている雰囲気はあまり感じられません。
 このあとは胆沢川沿いに遡って秋田への県境を超え、横手を回って帰路につきました。

2017.08.05 マルカン食堂(復活後2回目)
 花巻市のマルカンデパートの食堂が復活開店して2回目の食事です。この日は私たち夫婦に孫のはるくん(2)が付き合ってくれます。
 駐車場は、復活前は人手による入出庫でしたが、キャンピングカーで行くと第一駐車場は入庫出来ず、少し離れたところにある、グループ経営だったボーリング場の一角を案内されてそこに止めていました。復活後は全て自動となり、ゲート式の第一と、フラップ式の第二があります。実際に駐車できるか心配したのですが、区画に空きがありさえすれば、2×5mサイズのキャンピングカーでも両タイプで可能でした。
 さて、12時を少し過ぎて到着したので混雑が心配でしたが、平日で大丈夫でした。でもレジ前の行列が長くなったので、一時誘導チェーンが張られましたが、すぐに解消しました。
 この日いただいたのは… 結局いつもと同じ、マルカンラーメンとナポリカツです。食後にこれも定番メニューのソフトクリームですが、今回は多少時間がかかる可能性があるので、コーン入りではなく、カップ入りにしました。お椀を借りて、はるくんとは別口になるように分けていただきます。
 とても美味しかったようで、じじばばが、5分の4位取ってしまったためか、溶けた分まで大事にいただいていました。
 2段上の写真にあるように、この卓上セットの構成と雰囲気も、毎回嬉しくなります。




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