2012.07.25
 いわて花巻空港から長崎へは直通便はありませんので、大阪伊丹空港での乗り継ぎとなります。伊丹空港は広く、枝状に分かれた発着所をてくてくと歩いてゆきます。一度外にでなくても中に軽食コーナーがあります。 洋風のあまり好みではないメニューしかないので、売店を覗いてみました。結構弁当類もありました。
 待合用の席の他に、買ったものを食べるテーブルと椅子も少し置いてありましたので、お寿司とサンドイッチを買って、外の空港業務の様子を見学しながら昼食をいただきます。

 長崎空港は大村湾に作った人口島で、陸路アクセスは1本の橋だけのようです。レンタカーの営業所まで送ってもらいながら聞いたところでは、大村湾は外海とつながっているところは橋のかかった一箇所だけなので、ひどく荒れることはなく、通行止めは考えられないそうです。

 レンタカーを借りて乗るのは何十年ぶりでしょうか。今時のレンタカーにはナビとETCがついているのが普通のようです。
 知らない土地では特にナビが役に立ちます。そして高速道路の料金設定境界を何度か越えてゆくようなところでは特にETCカードが便利です。 便利なのですが旅行に出かける際には持ち物リストにきちんと入れておかないと、普段自家用車に入れっぱなしにしていることが多いカードなので、忘れかねません。
 空港近くのレンタカー営業所からまず向かったのは、ハウステンボスです。一つ一つの建物が大きいのに驚きます。でもあの中には何が入っているのでしょうか。

 右の写真クリックで園内の入口付近からの映像です。(風車・アードガーデン・運河など)
 帰宅後にTVで紹介されていましたが、百万本のバラ園が少し前まで見られたようですが迷路のような歩道と水路を配置した庭園が見事です。
 代表的な建物である、ドムトールンという塔に登りましたが、展望台のガラス張りの部分以外、途中の階には何も入っていないような感じもします。

← 左写真は運河のレベルから見上げたドムトールン。クリックで展望映像です。
 その右の写真は、同展望台から望む、園の奥方面。方角を勘違いしていまして、奥が北の方だと思っていたところ、案内地図で入口を手前に書いてあることから、南北が普通の地図とは逆で、上が南なのでした。 私は普段ナビを使う場合でも、ヘディングアップ(進行方向が上)ではなく、ノースアップ(北が上)に必ずセットしているという変わった人ですので、地図から得られた方向感覚とのギャップが大きいと結構後々まで勘違いを引きずることとなります。

 このテーマパークのモデルはオランダということで「ハウス」はHuis=家、tenは前置詞、Boschは森ということです。
 オランダは先の大戦では敵国でしたが、江戸時代には唯一西洋の情報を得られる大切な交易国でした。そのことに関する史跡も長崎には多く残っています。私の住む岩手とは、地理的なものはもちろん、文化的な風土も大きく違うものがあります。
 私の自宅から数百メートルのところにある二級河川の堤防は、オランダ人の捕虜の方々による施工ということです。でもそのようなマイナスの側面はなかなか情報の伝達がうまく回りません。どこの国とでも仲良くできれば良いのですが、誤った指導者がはびこると不幸な結果を招くことがあります。
 園内の一番奥の部分は、パレスハウステンボスという、オランダの女王が住んでいる建物を忠実に再現したものだそうです。ホテル・貸し別荘地のフォレストヴィラと併せて、現在はフリーゾーンとして通常は開放されています。
 アトラクション等を利用しない入園料は3200円ですが、西口ゲート(駐車料金600円)から入ってフリーゾーン内だけの利用ですと無料です。ですがこの中のパレスハウステンボスのエリアに入るには300円必要です。
 フリーパスは5700円ですが、たぶん各施設利用券はあまり使わないので入園料だけとしました。別途支出したのはドムトールンの展望台と、パレスハウステンボスエリアの2箇所で、計700円でした(一人当たり)。
 パレスハウステンボス(動画)の宮殿は、内部が美術館になっているのですが、訪れた時には入替改装中のために中に入ることは出来ませんでした。でも一番の目的である洋風庭園を見学することが出来ました。他のエリアと違って来訪者も少なく、ひとりじめ(ではなく二人占め)して広い園内を回ります。緑の回廊の中もずーっと歩いてゆくことができました(上の写真RO)。

 次に目指したのは、散策コースとして紹介のあった、フォレストヴィラ(貸し別荘が多く並んでいるところ)です。パレスからは地図で見ると直接行けそうですが、ゲートがあるので回り道をしてゆきます。

 池の中央にある島(地図)を通ってゆきましたが、橋の上から見ると、なんと岸辺で白鳥が子育て(動画)をしていました。白鳥でも種類が良くわかりませんが、くちばしが黄色で目の辺りが黒いのでコブ白鳥かと思います。でもこの暑い長崎で「越夏」するのは大変かと思うのですが、飛べないように羽でも切ってあるのでしょうか。
 
 そして人通りの無い道を歩いてゆくと家の前の木にブルーベリーの実がたくさんついていました。熟れて下におちている物もありましたので、数粒摘んでいただきました。
 この日は佐世保駅の近くに宿をとっていました。外食とすることも出来るのですが、駅に隣接するスーパーで酎ハイとつまみとお寿司などを買ってきて、部屋でパソコンを開いて明日のことを調べながらいただきました。このにぎり寿司がこれまで食べたことの無いほどおいしいものでした。回転すしやスーパーのパック詰めはもちろん、普通のすし店でいただくものでも、このレベルのものはめったにいただけません。

2012.07.26
 長崎県内2日目の朝は佐世保市内を見るところから始めます。昨日の夕方高速道路を降りて佐世保市内に入ったところで海の方に見えたのは自衛隊の護衛艦が並んで停泊しているところでした。そのあたりは基地ではないと思うのですが、この港が「軍港」であることがわかります。 またSSK(佐世保重工業)も主要な産業ですので、そのあたりも通って見たいものです。まずは通りを北に進んで「米海軍佐世保基地」を示す交差点がありましたので、多少入り口のあたりまでも行けないかと思って左折してみました。 すると!いきなり通りは基地の作りとなっていて一般車が入る場所ではありませんでした。
←ROで別のところから見た米艦

 佐世保重工業の敷地に沿った通りを進んでゆくと広大な工場構内にたくさんの巨大な船舶が建造中なのが見えます。でも朝の通勤時間帯でもあり、なかなか車をとめて観察できるようなところもありませんので、車窓から見るだけで感心して次のところに向かいました。
 次の目的地は諫早湾の潮受け堤防見学です。真相はわからないのですが、ギロチンと呼ばれる仕切り板がドミノ倒しのように閉まってゆくニュース映像は今でも忘れられません。あの湾は今どうなっているのでしょうか。
 ギロチンは今は工事が進んで姿は見えなくなり堤防と道路が出来上がっています。ナビ(RO)ではまだ海に見える部分もかなり埋め立てが進んでいます。

 途中に車を停めて見たいところですが、危険なので停めないように促す看板が多くあります。その代わりトイレも備えたパーキングエリアが設置されています。

 歩道橋を渡って外海(といっても有明海)の方を眺めることもできます。干拓事業の案内板があって、その意義を説明してあります。が、私だったらそのスペースの半分くらいを割いて、反対する意見や開門命令についての自由記載スペースにしても良いのではないかと思います。外部の人間にはその功罪はわかりにくいので、両者の言い分を聞いてみたいところです。
 
下左写真 排水ポンプステーションとROで放流状況



 島原半島へ渡ります。東側からかの有名な雲仙の普賢岳の近くを越えます。峠の近くにトンネル入り口に駐車場があって、案内板などがあります。上の方が曇っていて見えにくかったのですが、少しだけ普賢岳の山体が見えました。

 小浜温泉に向かって
山道を下ってゆきます。途中に雲仙温泉があり、噴気地帯に遊歩道が巡っています。温泉街の直近にこのような噴気地帯が入り組んで広がっているのはあまり見かけません。ガス中毒等の危険はないのでしょうか。ま、温泉街が先ではなく、噴気地帯が先にあったはずですが、これまで大丈夫だったところに建てたのだと思われます。

 ←左の画像クリックで動画にリンクします。
 この日の用務がある、小浜温泉の街に付きました。用務の前に昼食をいただきます。裏通りを流してゆくと手頃な食堂がありましたのでさっそく二人で入ります。
 長崎(市)ちゃんぽんが有名ですが、小浜にもだいぶ前にちゃんぽん麺が伝わって独自の進化をとげたのだそうです。で、この麺と、もう一つトルコランチも名物のようですのでそれをいただきます。後者はどういうものかというと、チャーハンととんかつと目玉焼きとサラダをあわせたような感じです。
 注文した後に二人とも少食なので食べきれるかどうか不安でしたが、以外にどちらもあっさりしていて全部食べきることができました。
 用務が済んでの宿泊は、じゃらんから予約したのですが、小浜荘という素泊まり専門の和風旅館です。天然温泉大量かけ流しの露天風呂(男女別)と内風呂があります。
 昔懐かしい旅館風の作りで、個人的にはビジネスホテルよりも好きなタイプです。露天風呂に隣接して鯉や亀が泳ぐ池があり、シオカラトンボの縄張りとなっていて、入浴している目の前を行ったりきたりします。内湯とは別に露天風呂に隣接して小さな内湯もあって、そこで石鹸も使うことができます。料金も安くてちょっと変わった満足の宿でした。
2012.07.27

 翌朝は早めにチェックアウトして、近くのコンビニで朝食を購入した後、日本一長い足湯のある海辺の公園に腰掛けていただきました。残念ながら足湯はまだお湯を流していなくて始まっていません。温泉の蒸気を利用して野菜を蒸して調理する設備もあります。温泉が自噴しているということはありがたいですね。
 隣接したグランドと温泉街も見渡せます。朝食の後は長崎市の軍艦島に向かいます。

 雲仙市の小浜温泉から、橘湾を回って長崎市に向います。面積自体は大きな県ではないのですが、海岸線の入り組み度合いがすごく、直線距離は短くても移動に長時間かかる場合があるようです。
 長崎港フェリーターミナルへやってきました。一時本格的な雨降りで心配したのですが、ここでも晴れ夫婦ということで、乗船までには雨が上がってくれました。
 軍艦島(端島)は、九州・山口の近代化産業遺産群を構成する要素として、国連世界文化遺産の国内推薦暫定リスト入りが決まっています。ちなみに岩手県釜石市の橋野高炉跡も同群に含まれています。
 以前に確かNHKで島内のようすが放送されたことがありますが、120年以上前に八幡製鉄所へ製鉄用原料炭を供給するために開発されたこの島は、一時は日本一の人口密度があったほか、当時としては近代的な設備が整った日本初の鉄筋高層住宅や学校・娯楽施設などが集積していたところです。昭和49年に閉鉱して無人島となっていましたが、2009年から上陸して見学できるツアーが行われるようになっています。現在数社が乗り入れているようですが、やまさ海運のツアーが解説などの面で充実しているようです。

 船内でも解説ビデオの上映や、周辺に見える景色・建造物の解説があり、上陸してからもボランティアの方3名が説明をしてくれます。船内にはトイレはもちろん、飲み物の販売機などもあります。陽射しの強い日でしたが島内の見学コースには日陰が無いので貸し出し用の麦藁帽子も用意してありました(私たちは自前で持参)。 上陸時には傘は禁止のようです。なお、見所は船の右側に多いようですので、乗船時に余裕がある場合には右の席を確保するのがよいです。

 この時点で島内では日よけ設備の工事中でしたのでもう出来上がっているものと思います。
 島内には生活と生産のための諸建造物が高密度で配置されていますが、崩落の危険があるために見学コースは南西端に限られています。台風などの際には大波が越えて来るらしく、低いところの石やレンガは角がとれて丸くなっている物もあります。

 静止画では説明に限度がありますので動画でご覧ください。下の段に動画の時刻と内容を記載しています。
00:00 長崎港フェリーターミナルを出港
00:21 三菱重工長崎造船所でメンテナンス中の自動車運搬船と、自衛隊のイージス艦
01:11 同所で建造中の艦船
01:23 ながさき女神大橋をくぐる
01:38 三菱重工長崎造船所の南側の工場で、巨大な門方クレーンがあります。
01:57 伊王島へ渡る橋をくぐります
02:05 軍艦島(端島)が見えてきました
02:48 軍艦島に上陸します
03:40 ボランティアの方による解説。グループを3つに分けて入替ながら説明をしてくれます。
04:15 離岸して島の周りを一周します
05:06 アパート群がすごいです
(2012.12.08記入 時間が開きましたがご容赦ください)
 昼前に長崎港のフェリーターミナルに戻ってきました。車はそのまま置いて、近くで美味しそうな昼食を探します。

 外は暑いので冷房の効いた店内に入って、少し変わった「冷やしカツ丼」(だったかな?)をいただきました。記載まで時間があいてしまってスミマセンが味はよくおぼえていません。やや美味しかった気がします。
 長崎市内には路面電車が走っています。H24に出かけた各都市の中で、計4箇所が路面電車のある街でした。(他に岡山と福井と函館))
 普段付き合い慣れていない交通システムなので、特にレンタカーに乗って交差しながら走行するのはとても気を使います。信号システムも、40年前に教習所で習った、オレンジ色の矢印や×印の意味を理解しておく必要があります。右折と直進の混合レーンと電車が並行している所での対処などたいへんでした。

 次に向かったのは原爆資料館です。日本人としてやはり広島・長崎の核被災地は見ておく必要があると思っていました。でも岩手からそのためだけに出かけるのも大変なので、機会があれば来ようと思っていました。
 印象とすれば、だいぶソフトな表現に配慮されているという感じがしました。現状はもっともっと残酷なことがたくさんあったはずです。投下後の列車による諫早方面への移送や救援体制など大災害への対処へも通じるものがあります。
 中学の頃から歴史を学ぶのは苦痛でした。現代にどう繋がっているかわからない遠い昔のことを、年号とともに丸暗記しなければならないことにどれだけの意味があるのでしょうか。なかなか眠ることが出来ないときには、世界史の教科書を前の方から読み始めれが一発で寝られました。
 以前からの考えですが、歴史の勉強は「さかのぼり」形式で行うべきだと思います。現在の歴史教育システムはネアンデルタール人から始まりますが、明治のあたりまで来ると時間がないのかさらっと流して終わりになります。本来一番重要なのは現代の国際社会の諸問題に直結する、明治以降の各国の軋轢であるはずです。
 歴史を学ぶ意義は何でしょうか。私の考えですが最大の目的は「同じ過ちを繰り返さないため」だと思います。言葉と資料で史実経過と原因をまとめて残すことにより、人類全体としての失敗を少なくしてゆくことが出来ます。
 そして社会科学としての歴史への探究心は、現代社会の情勢を分析して、「なぜこんなことになってしまっているのか?」という疑問から出発しなければ、学校の授業のような単なる暗記競争になってしまいます。
 そのような「疑問解決への探求」を進めるには、現代からさかのぼって学ぶことが自然であり、効果的です。何より探求者の意欲が違います。
 中国が、韓国が、北朝鮮が日本と対峙している事柄が多くあります。現代の各指導者に相当な問題があることは明らかですが、歴史を振り返る時の立場が、被害者と加害者では違うことも大きな対立の要因です。
 原爆を落とした国ではその「正当性」を主張する論調が強く、原爆に関する資料を見ない、認めないという人もいるそうです。個人・国家に関わらず、被害を受けた方は長く相手を恨み、加害者はすぐ忘れてしまうということが普遍に繰り返されているようです。
 原爆・空襲・艦砲射撃といった被害に遭われた方はもちろん戦災の犠牲者ですが、上記の国から戦争を見た場合には加害国の国民となります。過ちを繰り返さないために悲惨さを語り継いでゆくことと合わせて、自国が他国に与えた損害等についても、未来の関係向上のためには認識しておく必要があります。
 長崎原爆資料館からは原爆公園を通って平和公園へ向かいました。原爆公園内では秋田でいうババヘラアイスを売っているおばちゃんがいて、暑いので買っていただきました。
 平和公園までは花壇と階段が続きますが、エスカレータの工事が行われています。でも車で祈念像までゆく道も並行してあります。
 階段を登りきると噴水があって、平和祈念像がいらっしゃいました。垂直に高く掲げた右手は原爆の脅威を、水平に伸ばした左手は平和を、横にした足は原爆投下直後の長崎市の静けさを、立てた足は救った命 を表し、軽く閉じた目は原爆犠牲者の冥福を祈っている そうです(wikipediaより)
(2013.04.30 記入 更新間隔が開きましたがご容赦ください。記載内容は2012.07.27のものです)
 次の訪問先は、三菱重工業長崎造船所の資料館です。長崎県全体にいえることですが、岩手と比較すると、文化・宗教・技術が相当早い時期に国外から取り入れられて、進んだところであったことがわかります。こちらの資料館には機械・造船関係の基礎技術が当時の先進国から伝わり、発展してきた経過や、先の大戦に関わる軍艦の資料なども見ることができます。

 駐車場はこの見学入り口付近には無いため、少し南西に進んだ三菱重工病院?の前にある駐車場を利用します。歩いても2分程度です。館内には国外の方も多く見学に見えられています。
 蒸気タービンの実物カット展示もあります(左と下写真)。タービンというのは流体の持つ運動・圧力エネルギーを回転運動に変換して動力を取り出し、発電や推力などに利用する重要な機械要素です。

 その設計・製造・運転には相当の技術力が必要になります。高速回転する物体には想像以上の遠心力が作用し、ほんの少しの欠陥でも回転上の不釣合いが発生すると大事故に至ります。技術的に未発達であった時代には、タービンのような『流れ型流体要素」ではなく「容積型流体要素」がエネルギー変換の主役でした。舶用で言えば映画タイタニックに出てくる巨大なピストンとシリンダーや、蒸気機関車がそれに当たります。
 現代の発電所では火力・原子力とも熱エネルギーを蒸気を介してタービンで回転エネルギーに変換して利用しています。
 展示物の中でも目を引くのが破損したタービンの実物です(下写真)。説明は右下写真に譲りますが、素材(鉄鋼)のほんの少しの欠陥が大事故に至った例のようです。要約すると
「高速回転体が素材の欠陥により割れて飛散し、この破片(9t)は880m離れた海中に落下した。原因究明も徹底して行ったため、この事故を機に製鋼技術が飛躍的に向上し、納入先の信頼も得られた。」ということです。失敗を後世に生かす。政治でも技術分野でも大事なことだと思います。
 震災における各種被害から得られた知見を、今後の防災に生かすことも重要なことかと思います。私が携わってきた分野においてもその一環を伝える活動をさせていただいてきましたが、震災から2年を経て、風化が始まって来ているような気がしてなりません。



 次にやってきたのがグラバー邸です。車でのアプローチは、正面は混雑しそうな気がしますので、やや南から急な坂を上って、すぐ近くの新しいコインパーキングにとめることが出来ました。長崎港を見下ろす丘の中腹に各種の建物が並んでいます。以前は歩いて上って見学したらしいのですが、エスカレータで「頂上」まで上って、下りながら見ることが出来るようになっています。

 やはり、日本が「開発途上国」であった時代に、いろんな外国人がやってきて、その文明の向上に力を尽くしてくれたおかげで現在の日本の発展があるのだということが、各種の説明を見てわかります。
 そして世界遺産の登録を目指す事項についての展示もありました。長崎においては「長崎の教会郡とキリスト教関連遺産」と、「九州山口の近代化産業遺産群」が取り組まれているようです。後者には九州・山口の他に、岩手県釜石市の製鉄関連遺跡も含まれており、登録に向けた活動をしています。

 世界遺産暫定一覧表に記載されている国内の資産は、展示資料によると次の順位のようです(名称は略称)。
1.鎌倉の寺院・神社 2.彦根城 3.富士山 4.富岡製糸上場と絹産業遺産群 5.飛鳥・藤原 6.長崎の教会群 7.国立西洋美術館本館 8.北海道・北東北の縄文遺跡群 9.九州・山口の近代化産業遺産群 10.宗像・沖ノ島(福岡) 11.金を中心とする佐渡鉱山 12.百舌鳥・古市古墳群(大阪)

 暑かったこの日の見学も完了して、長崎駅前近くにとった宿にチェックインします。おみやげなどを見ながら繁華街で今日の夕食を求めに地元の人が使いそうなスーパーに入ってみたりします。
 長崎はどこに行っても観光地として見学できるスポットがたくさんありますが、商店については国内どちらに行っても大体同じような感じで、長崎も普通に買い物ができました(当たり前ですが)。
2012.07.28 
 ホテルの上層階で朝食をいただきます。長崎県内での最終日は、午前中に亜熱帯植物園をゆっくり見学して、昼の飛行機に乗ります。
(久々のこの欄記入で、丸一年以上の周回遅れになりましたことをご容赦ください)
 前日には船でくぐった長崎湾口のながさき女神大橋を、今度はレンタカーでくぐって南西の半島にある、長崎県亜熱帯植物園サザンパーク野母崎へ向かいます。
 地図で見ると遠いのですが、岩手県の感覚から見た距離感とはちがって、しばらく走ると着きました。でもまだ開園時間になっていませんでしたので、さらに少し足を伸ばして、以前は孤島で今は橋がかかって陸続きになった(多分)、樺島に渡ってみます。
 きれいなアーチ橋を渡って島に入ると、オオウナギ生息地という看板がありましたので、住宅地の細い路地を通っていってみました。なるほどおおきなうなぎさんが水槽にいます。でも野生でも居るのかどうかなどはよくわかりませんでした。
 浜辺に行ってみると、外洋に面しているためか、大村湾などとは違ったきれいな波が打ち寄せていました。バックバンドつきのクロックスサンダルなので足海水浴を楽しみます。
 たぶんあと来る事はないと思う、いろんな知らないところを回ってみるのはとても楽しいものです。
 植物園の入り口ゲートからレストハウスまではシャトルバスで送迎してくれます。そこから園内の坂道を徒歩で下ってゆき、一番下のレストハウスからはまたシャトルバスで戻ってくるようになっています。
 ジャングルの中を周回するトロッコ列車がありますので、それにも乗ってみました。

 ↓ クリックで園内の動画です
 正直なところあまりお客さんは多くないのですが、見る者にとってはとてもゆったりとした気持ちで回ることが出来ます。スタッフの方も多くはありませんが親切で、いろいろお話もできました。特に下の売店では、この類の施設ではありがちな市価より割高な設定ではなく、コーヒーもかき氷もボリューム・質とも満足でいただくことができました。

長崎の旅は、ちょっとしたカルチャーショックと、国内でも異国の雰囲気に触れることができて良いものにすることができました。(完)

飛行機からの雄大積雲(入道雲) 2012.07.28 (帰途)
 岩手県から長崎県へ行く交通手段を検討する時に、花巻のあたりを起点として考えますが、空路・鉄路(新幹線)の他に、車(キャンピングカー)という選択もあります。乗車人数が2人以上だと経費面では他よりも有利になるかもしれません。でも所要時間の点では最下位になりますので、1週間以上の旅行などの場合でなければ使えません。
 新幹線では約12時間以上くらいかかります。
 飛行機では中継時間を入れても4時間弱で着きます。予約が早く出来る場合や、宿泊・レンタカーとのパックにするとより割安になりますので、日程が決まっている場合にはこれがやはり便利です。時は金なりということもあります。
 ←クリックで長崎から大分空港上空の動画
 というわけで往復とも空路となりましたが、行の花巻→伊丹間は午前で視界が悪く、セントレアが望めたくらいでした。伊丹から長崎へは本来左側座席だったのですが、非常口のある座席に座った人立ちが、日本語と英語の理解が困難な人で、非常時に誘導に支障をきたすということで、私たちにそこの人と替わってくれませんかとCAのおねえさんに依頼されて右側の座席に移動しました。九州上空に差し掛かると雄大積雲が発達していてすごい立体感で迫ってきて素晴らしい景色でした。でもカメラを収納棚に入れてしまったので撮影はできませんでした。
 これまで真夏に飛行機に乗ったことがなかったのですが、どうやら昼過ぎになると入道雲ができて、地上はあまり良く見えませんが、雲に関しては素晴らしい景色が楽しめるようです。
 長崎空港で割り当てられた席は(この区間だけはなぜか当日の配分)、翼よりやや前の右側で、瀬戸内海を見るにもベストの位置です。その動画を2段上左の写真リンク先の動画でご覧下さい。
 四国の佐田岬にたくさんの風車が並んでいるのが見えました。ここから多分淡路島近くの上空までは左の写真リンクの動画でご覧下さい。
 ←クリックで四国上空の動画
中継の伊丹空港では、間食で柿の葉寿司とサンドイッチとソフトクリームをいただきます。様々な機種を観察することが出来ます。私たちの乗ったのは4列シートとしては最も小型の機だと思いますが、左上写真のROではボーイング767で大きな貨物室から出し入れしている様子がわかります。
 そして大阪の伊丹からいわて花巻までは西日が傾くのを観察出来る左側の席でした。逆光による雲の影や、多分長野の千曲川に反射する西日などが見えました。こちらも素晴らしい景色でした。機内では三陸大船渡、さいとう製菓の かもめの玉子が出ました。おいしかったです。
「初めての長崎県」                  2012.07.25-28
 H24.6の福岡に続いて、長崎県にも用務がありましたので出かけました。遠方や初めての所に出かける際には、なるべくその土地を知るようにして、できれば楽しんで、そして地元に多少なりとも経済的に貢献するようにしてきます。今回は二人で向かいました。