「ペルー・マチュピチュへ」  2013.06.19-26
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yadoni
 これまで海外に出かけたことはありませんでした。なぜなら日本国内にもまだまだ見たことのない、行ってみたいところがたくさんあるからです。でも海外にも行ってみたいところはじつはたくさんあって、歳を重ねるにつれて、そこに行けるチャンスは次第に減ってきているという事実が大きくなってきました。日本でも良いところがこんなにあるのだから、その視野を世界に広げればもっとすばらしいものがあるはず。特に世界遺産とされる場所は費用と時間をかけても行ってみる価値がありそうです。
 ふだん生活しているさまざまな環境が許す範囲と自由は中年以降次第に狭くなって行きます。ならば最初から思いっきり遠くですばらしいところへ行って見よう・・・ということで、行ってみたい世界遺産人気ナンバー1のマチュピチュを目指しました。実は人気にかかわらず、40年ほど前から、もしどこでもいいから海外で行って見たいところと問われれば、あのマチュピチュの絶景を思い浮かべていました。
 ここに記す事項は自分の記録としてのほかに、次に目指す人の参考になるようになるべく構成してゆきたいと思います。

  午後の日差しを受けるマチュピチュ遺跡。後方はワイナピチュ峰。その下の写真は太陽の門(インティプンク)へのミニトレッキングから見下ろすウルバンバ川
1.ペルー旅行本編 
 ナスカの地上絵 
 クスコ市内 
 オリャンタイタンボ 
 マチュピチュ村 
 マチュピチュ遺跡 
 マライの塩田 



2.旅行準備 
 ガイドブック 旅行社 持ち物等
3.往復の交通機関
 航空機 バス 列車 
4.費用・通貨
5.記録・通信等
6.食べ物
7.その他


1.ペルー旅行本編
(ナスカの地上絵へ)
(ペルー到着までの経過は「往復の交通機関」をご覧ください)

 
ペルーの首都リマの国際空港に着いて入国チェックを受け外に出たのは、成田出発から約24時間後、現地時間の午前2時頃となりました。帰路でもありましたが、航空機の遅れや出発ゲートの変更は良くあることのようです。添乗員なしで行く場合にはその情報を的確に把握しないと大変なことになります。因みにツアーではぐれた場合にも、置いてゆかれることになるようですので注意です。
 空港から宿まではツアーで貸切の大型バスです。参加者・添乗員合わせて20人で、スーツケース類は下の荷物庫に入れますので余裕です。このバスは日野の車体に似ていますが、なんとメルセデスベンツ製です。他に乗った中型のバスもフォルクスワーゲン製でした。他に走っているバスを見ると、HYUNDAI(韓国?)などがありましたが、残念ながら日本製のバスは見かけませんでした。ハイエースクラスはたくさんあるようです。
 翌朝?(宿に到着から約2時間後、午前五時前)に迎えに来たバスで第一日目の目的地に向けて出発です。このようなハードスケジュールが海外旅行ではよくあるようなので、体力のあるうちに出かけるのが正解です。
 リマからナスカの地上絵に向かいますが、バスで2時間あまり海岸沿いの砂漠地帯を走って行きます。町にはなぜか車のオイル交換をする店と、放し飼いのわんこが多く居るのを見かけます。ガイドさんに聞かないでしまいましたが、じつは飼われているようすもなく、普通に町の中で暮らしています。犬種はさまざまですが、ミックスのようなそうでないようなです。
 ピスコにある空港で小型機に乗ってナスカに向かいます。
← クリックで動画

 
ピスコの空港から地上絵のあるナスカ平原までは40分近く飛んで行きます。砂漠に繋がる丘陵地帯とさらにその奥のアンデス山脈までが見渡せます。
 ちょうど18人の参加者が一機に乗ることができました。

  
 ← クリックで動画
 現地上空に着くと機体を右に左に旋回させながら副機長が説明をします。事前の情報ではせいぜい英語の説明だったのですが、かたことの日本語で説明してくれました。「ハネノシタ!(羽根の下)」と叫びながら地上絵のあるところを教えてくれようとしているのですが、なかなかそれとははっきり認識できないものが多いのが残念です。想像よりも小さかったり、広くて場所が特定できなかったりです。ビデオではっきりわかるのはハチドリが羽根を広げたところです。宇宙人は左下の黒い山肌斜面に小さく見えるのがあとでビデオでわかりました。
 ハチドリの地上絵。これらの絵は紀元前のものであるらしいのですが、地表の構造と気候の関係で永く残っているのだそうです。感心したのはそのデザイン感覚でしょうか。特に猿の絵などはTシャツのデザインにも取り入れられて多く販売されています。私も1枚買ってきました。 

 この日の昼食は海辺のレストランです。ペルー国内の食事は、全般に日本人の口に合うようです。量が多くて残してしまうことはありますが、ほとんどの皆さんは食べていました。
 それから現地ガイドの方から聞いた注意事項なのですが、紙幣は少しでも傷があると受け取ってもらえません。オプションのドリンク支払に米国でおつりに受け取った5ドル札を使おうとしましたが、何箇所か2ミリ程度の裂け目があってだめでした。この紙幣は帰路のアメリカで使用しました。
 食事後に波打ち際まで行って見ましたが、向こうの船にとまっている鳥、大きいのは何かわかりますでしょうか?なんと野生のペリカンのようです。


(←左画像クリックで動画再生)

 夕刻リマ市街のミラフローレス区に戻ります。海辺は急傾斜になっていますが、ほとんどの建物はその断崖の上にありますので、先の大震災の津波がこちらにも来たそうですが大きな被害には至らなかったということでした。

 おみやげものなどのショップや公園のようなところで異国情緒を楽しみます。いろんな花も咲いています。近くに学校があって、下校の小学生とお互い内容はわからないのですが身振りで話もしてきました。(写真とってもいい?)(キャーはずかしい!)てな内容です。妻が時刻を聞かれたので時計(現地時刻にあわせてある)を見せてあげました。

 夕食は2泊お世話になったホテルで、ツアー参加者がそろっていただき、国内初日の日程を完了しました。この日の現地ガイドさんは島袋さんという日系(沖縄)三世の方でした。
 夕食は多彩で楽しんでいただきましたが、朝食は日本のホテルのサービス朝食程度のこともありますので、同行したベテラン旅行者?の方は、ミニラーメンを持参していました。カップではないミニ袋ラーメンでお湯を注ぐだけのものだと、マグカップでも作れるのでよいかもしれません。

クスコ市内へ)
 ペルー国内二日目(一日目の午前2時から数え始めて、2泊の後になります)は、またも未明に起き出して空路クスコに向かいます。ホテルから空港までの短い区間ですが現地ガイドさんはマルコさんです。小学のときからしばらく日本に居たということですが、あだ名はちびまる子からだんだんステップアップして離日することは大まる子ちゃんになったということでした。
 ターミナルから登場する飛行機までは超低床三つドアのバスで向かいます。

クリックで動画です
 ペルー国内線はStarPeruという航空会社です。飛行機は一般に短い区間でも機内食や飲み物が出ます。
 座席は今回の旅行で乗った飛行機6機すべてが満席でした。費用と予約のことも考えるととても個人で予約は難しいかもしれません。
 出発地のリマは海の近くで標高は0に近いのですが、クスコは標高が3000m以上あります。
 長距離の国際線などでは、高度は1万メートルくらいを飛んでゆくため、機内は機密状態で地上の圧力と同程度ですごすことができますが、高度計内蔵の腕時計で確認していたところ、このルートでは徐々に気圧は下がっていきましたので、気密にはしていないようです。
 翼の近くの席で展望はあまりよくなかったのですが、アンデスの雪をまとった山並みがきれいでした。

←クリックで動画へリンク
 クスコの空港に降り立つと、通路の脇にコカの葉が置いてあって、自由にかむことができます。高山病への対応に良いのだそうです。高いところへ来て数時間は大丈夫でもそのあとだんだん頭が痛くなったりする人が多く出るようです。わたしもややいたくなりました。
 こちらは空港内のトイレです。小のほうは普通なのですが、子供用の低い便器は見つけられませんでした。大のほうについてですが、「紙の水溶性が低く、配水管が細くて詰まり易い」という理由で、ペルー国内で紙は横のボックスの中に入れるということになっています。あと右の便器に便座が見当たりませんが、直接座れる大きさになっています。便座があるところもあります。
 紙を別に捨てるという件については、大災害のときに水洗トイレが詰まって使えなくなることの対策として、ペーパーは別に廃棄できれば相当トイレの延命ができるのではないかと思いました。
 日本でも3千メートルの高山に登ると感じるのですが、空の青さが深いような気がします。クスコ空港に迎えに来たフォルクスワーゲンのバスに乗って市内に移動します。
 ここからの現地ガイドの方は、ダニエルさんという方で、先の島袋さんが「クスコで一番のガイドだと言っていました。そのとおりで知識・会話ともすばらしく、菅野美穂さんが出た旅行番組でも彼がガイドをしてくれていたようです。↓
世界!弾丸トラベラー マチュピチュ 菅野美穂(中国版Youtube?)
このテレビの時よりは長髪になっていました(後段写真参照)

 クスコ市内で最初に向かったのはサントドミンゴ教会です。次の日が夏至でインティライミ(太陽の祭り)の準備や踊りの練習をしていて、教会の前のサグラド庭園で走り回っています。
 中のようすなどはこちら「クスコの町とサントドミンゴ教会」の動画をご覧ください
 教会の礎石の黒い部分はインカ時代のもので、その上はスペイン占領時代のものだそうです。強固で精密なつくりなので壊して作り直すことをあきらめて、上部にやや雑なつくりの教会が設置してあります。左下写真ROで同城壁内部。ダニエルさんと(私の)妻です。
 ナスカの地上絵にもありましたハチドリの本物が居ました。何十種類か居るそうですが、近くの木にやってきました。ホバリング(空中静止)は少しだけしか見られませんでしたが、光る緑色の種類でした。動画はこちらでご覧ください。
 教会からは石畳の路地を通ってまず「12角の石」を見学に向かいます。多くの石壁が精密に組み合わされて居ますが、500年よりも前の動力も超硬工具もチェーンブロックのような荷揚機もさらに文字も無かった文化がこのようなものを作ることが出来たのにはやはり感心します。石の文明は数多くあるでしょうが、表面の接合だけでなく内部までもぴったりと張り合わせてあるのは脅威です。
 この時は12角の石の路地は工事で行き止まりになっていてやや回り道をしながらの出入りでした。
 入り口に、インカ時代の風貌の人が立っていて、1ドルでモデルになって一緒に写真に撮られてくれます。黄銅製?の冠も借りて豪華な杖?も持って、三人でその気になってパチリ・・です。

 12角の石周辺 サントドミンゴ教会からアルマス広場へ歩いて移動(動画)
 スペイン統治時代にほとんどの都市に作られた「アルマス広場(地図)」に向かいます。おりしも夏至の前日でインティライミ(太陽の祭り)のイベントが行われて広場は大勢の人たちが踊ったり演奏したり出し物が出てにぎやかです。 
 こちらから動画でもご覧ください。
 ツアーは自由散策時間となって、第9代のインカ帝国皇帝の像が中心にある広場の中を歩き回ります。観光客も結構居ますが出演者も含めた現地の人たちの中にも上の写真のように足の長い、ミニスカートをはいたお姉さんたちもいます。
 日中に限るのかも知れませんが、地球の裏側の都市でも安心してあちこち歩きまわれるのが新鮮でした。

 クスコからはバスの移動でアルパカ牧場・ピサック・聖なる谷を経由してオリャンタイタンボに向かいます。

 こちらの観光牧場には、アルパカ・リャマ・ビクーニャといった、家畜がたくさん居て、その系統図がありました。ビクーニャがいちばん希少なのだそうです。(動画の中では毛の長いもの)
 こちらの屋外にあるテーブルで昼食の弁当をいただきました。内容はおにぎりとゆでたまごと焼き魚とみかんなどで、日本人に配慮した構成でおいしくいただきました。
 手作りの織物を編んでいたり、みやげ物展示をしばらく見た後またバスに乗りますが、近くの民家で飼っているわんこと鶏が居ました。わんこは国内のほかと同じく放し飼いですが、日本だったら鶏を食べてしまいそうな気もします。バスは聖なる谷に向かいます。
 動画はこちらからご覧ください
  

(オリャンタイタンボへ)
 聖なる谷に国道が接する手前の高台(地図)にバスを止めて谷を望みます。
 ここからオリャンタイタンボの街まで、しばらくの間ウルバンバ川に沿って道は下ってゆきます。ガイドのダニエルさんに、道は川のどちら側を走るのかを聞いたら右でしたので、バスの左側の空いている席に座って、写真とビデオを撮りながら行きます。
 日本では決して見られない、山の形や表面の植生・岩肌・草地を望みながらの景色は、これだけを見るために観光に来ても価値があるくらいすばらしいものです。こちらの動画でご覧ください。

 右写真、バスの内部ですが、一見コースタークラスに見えますが、4列シートなのでもう少し幅があるようです。窓は開かないのですが、おおきなガラスの上方に小さな小窓があって、そこが開けられるようになっています。車体の振動でガラスごとガタガタゆれますが、壊れたりはしないようです。
 下の写真の中央から少し右下に、山肌が白っぽくなった所が見えますが、この時は少し変わっているとだけ思ったのですが、復路に現地に立ち寄って、塩田を見学することになります。
 バスがオリャンタイタンボの街に近づくと、道は狭くなって石畳の上を揺れながら進んで町の中心部で交番やネットカフェ!?があるロータリーにやってきました。

 町の路地を散策して、後の旅程で見学する遺跡を望みます。乗り継ぐ列車が遅れる予定とのことで、少し自由時間になりました。近くの市場の中を見学して歩きます。

 
町の中の動画はこちらです
 少しおやつを食べたいので、果物を売っているおばちゃん(もちろん現地の方)に聞いたら、ドルでの支払いは出来ないとのことでしたが、同行のTさん夫妻が交渉してOKにしてもらって、ちいさなバナナとみかんの類を買っていただきました。これが大変おいしくいただけました。

←おいしかった果物。石畳の町のメインストリートに面してベンチがありましたので座っていただきました。だいぶ陽は傾いてきました。
 まだ時間がありましたので、路地裏を歩くと広場があってみんなでサッカーをしていました。夕刻になって少し気温が下がってきました。南半球では冬で、標高も2000m以上はあるところなので、現地調達でカーディガンを購入して羽織りました。双方片言の英語でなんとか希望のものを値段を確かめながら購入できました。

 このオリャンタイタンボ駅からマチュピチュ駅までは鉄路に乗り換えますが、予定より2時間ほど遅れるとのことで、夕食は各自調達になります。駅の売店にもサンドイッチ状のものなどありましたが、クスコまでの機内食の余りがあったので、あまり大口ではない私たちはそれで間に合わせました。
 
(マチュピチュ村へ)
 遅れた予定の列車に合わせて、夕闇が迫るころにマチュピチュ村へ向かう鉄道のオリャンタイタンボ駅にやってきました。しばらく待って、テレビ番組でよく紹介されるハイラムビンガム号という豪華列車ではないのですが、天窓がついている列車に乗ります。この路線には PERU RAIL と INCA RAIL という二つの鉄道会社が走っているようです。(写真の車両に表示されています。

 マチュピチュ駅には21時(現地時間)過ぎについて、中心街を歩いて宿に(動画)向かいます。2連泊になりますので 二日目の夕食にオススメのレストランも教えてもらいます。

右下はマチュピチュへ向かうシャトルバス乗り場
↓この町にもあるアルマス広場


 翌朝はビュッフェ風の朝食をいただきます。日本語で目玉焼きとスクランブルエッグのどちらが良いか聞かれましたので、1泊目と2泊目で別々にいただきました。果物がおいしい朝食です。

←ホテルの前の渓流  
↓2連泊したホテル。全行程ホテルクラスはCでしたが、旅の目的がホテルでリラックスではないので十分満足でした。
   
 町の中の散歩のようすはこちらの動画からご覧ください。

 マチュピチュに向かうシャトルバスに乗る時間まで、村の中を散歩します。周囲を高い山に囲まれた谷底に拓かれた集落で、川沿いに歩道があります。ところどころ対岸に渡る鋼製の歩道橋もあります。
 川の上流寄りには温泉もあって、三日目(出発)の朝にも散歩をして行ってみたのですが、場内には入りませんでした。

 のちにTVの特集で見ましたが、水着を着て入る、やや深いプールのような屋外浴槽がいくつかあるようです。

 バスのチケットを持って乗車します。最初は渓谷の右岸を進みますが、橋を渡った後、九十九折の急坂を高度を上げてゆきます。未舗装でカーブもきつくて対向車(同じくシャトルバス)も来るのですが、何とかすれ違いながら進んでゆきます。動画はこちらからご覧ください。

左写真は終点(マチュピチュの入口)。場内は広大ですがトイレがありませんので、入場前に済ませます。
↓下の写真はバスの後部。このマークって富士山のようにも見えますがお日様もあるのでマチュピチュの図案だと思います。
 【このあとも時々解説の補完と写真の拡大をしてゆきます】

マチュピチュ場内へ 見張り小屋まで
 入場するには、旅行会社で準備してくれたチケットと、パスポートが必要です。当日再入場が可能でスタンプを押してもらいますが、パスポートに間違って押してしまったりすると、以後使えなくなったりすることがあるそうですので要注意です。
 ゲートから少し横に移動した後、いきなり急坂が見張り小屋とよばれるところまで続きます。 この日は少し雨足が強くなってきましたが、少しで止んでくれました。

 場内の様子は小さい写真よりも動画のほうが見やすいので、 こちら からごらんください。
 見張り小屋のあたりからは場内が一望できます(動画)よくみるとアルパカ(又はリャマ)が何頭か草を食んで居ます。
 (以下2014.05up)
 「見張り小屋」から市街地に向かって階段がところどころにある道を降りて行きます。細い峰の上に街は築かれていますので、両側は谷底に向かって断崖に近い傾斜です。その急斜面をうまく切り開いて食糧生産の場として開発した棚畑です。下のほうはまだジャングル状態ですが、まだ完全には発掘が終わっていないのだそうです。

 動画:見張り小屋→市街地
 市街地の入り口に石造りの門があって、そこで記念写真を撮る方も多くてやや渋滞気味になったりします。さっきまで下のほうで草を食んでいたアルパカ(又はリャマ)が歩いてきて上のほうへ向かうみたいです。観光客が道を塞いでいると立ち止まって、気付いて道を譲ってくれるのを待って居たりします。このエリア内で放牧されているようで、さらに子供が2週間前に生まれたばかりだということで、小さなアルパカもいました。
 
 動画:アルパカのお通り

様々な石積のある道を進んで行きます。「石切り場」と呼ばれるところもあります。

左下:原生花園の鮮やかな花たち。遺跡がジャングルに埋もれていた頃にはこのような花もあちこちに咲いていたようです。

下:二週間前に生まれたアルパカの子
 市街地の一番奥にあるワイラナへ向かいます。ここから独立峰であるワイナピチュへ上るゲートがあります。本当はぜひ登ってみたかったのですが、パックツアーでワイナピチュ登頂まで見込んでいるものはほぼ無いようです(又は費用が高額)。後述のインティプンクからもマチュピチュを俯瞰できるようですので期待することにします。

 動画:市街地入口からワイラナまで
(2014.06.12記載)
 ワイラナからの帰路は、遺跡の中腹各所を見ながらゲートの方に戻って来ます。建物に屋根がかけられていたと思われる区画には、2面に三角の傾斜のある壁があります。
 左下はコンドル、下は星を映す水鏡、下のRO後方は「マチュピチュ峰」です。

 動画:マチュピチュ場内戻り経路
 昼食は一度ゲートの外に出たところにあるホテル併設のレストランでいただきます。ビュッフェ形式(日本で言うバイキング)で、ツアーに含まれますので食券を持って入ります。その場での購入も出来るようです。
 いろんな料理があって、味も量も満足です。子豚の姿焼きのようなものもあります。そして生演奏の音楽も付いていました。

↓ レストランと、ROで上から見たホテルの配置
 午後からは再び場内へ入場してミニトレッキングでインティプンクへ向かいます。ゆっくりとしたペースで小休止しながら約1時間でインカ道の峠になっているインティプンクに付きました。途中にも遺跡がありますし、ここにも段々畑が作られています。またマチュピチュの市街を眼下遠くに望むことも出来ます。
 インカ道の峠になっているインティプンクの逆側から、何日間かの歩行ツアーで上ってきた日本人一行十数人の人たちにちょうど出会いました。体力と時間(とお金がもっと)があればこれも楽しそうです。

 動画;昼食のあとインティプンクへミニトレッキング

 ↓このコースで唯一階段のあるところ。他は石畳のみち。後方はマチュピチュ遺跡
 この日はここで自由解散となり、夕刻までにホテルに着くように、ゆっくり来た道を戻り、遺跡を再度眺めたりしてシャトルバスに乗り込みます。
 マチュピチュのツアーでは、半日だけ観光というプランも多いようですが、ふもとの村2連泊することでほぼ丸一日有効に使えますのでそういう設定があるツアーを選んでよかったと思いました。これが半日だと混雑する時間帯に当たったり、ゆったりと眺めることが出来ないかもしれません。
 ↓日差しの向きがかわり、雨も上がってまた違う感じで見えます。

 この日の夕食は自由行動になり、「インカワシ」というお店でいただきます。店員さんも日本人慣れしていて、先日も船越英一郎が来たとか言っていました。ペルーの郷土料理をいただきます。日本人の口に、ここでも合うというのを感じました。モルモットのヒラキをいただくのは次の機会にしました。

(だいぶ更新間隔が開きましてすみません、ここからH27.11.20記入です)
 夜のマチュピチュ村は結構遅くまで散歩する観光客やみやげ物店が開いていて、景観も改良されつつあって風情があります。二泊した翌朝はまたペルーレイルの列車に乗って、オリャンタイタンボに戻ります。
 往路では列車が遅れたため暗闇の中を通って来たので、マチュピチュ村に近づいてダム湖があるあたりまでは、回りの様子がわかりませんでしたが、列車には天窓が付いていて、今度は川沿いに近景やら遠くの山々を眺めながら進んで行きます。
  この川沿いには車道は無くて、交通機関は鉄道だけです。でも馬が通れるくらいの道も並行して向こう岸にみえます。(動画にあります) それからインカ道が山間を通ってマチュピチュまで繋がっています。日本からもこのトレッキングコースを歩きにやってくる人たちもいます。(既述) 遠くの山々はアンデスの高山に繋がっていますので雪をいただいたところもあります。

 車内からの眺めはこちらから動画をご覧ください。  
 クスコまで戻りますが、経路は途中まで同じです。往路でも街中での自由時間をとったオリャンタイタンボですが、復路では遺跡の見学をします。
(更新間隔が開いてしまいましたが、ここから2015.01.18記載です)
ここから画像のロールオーバー効果は入れないで編集しますのでご了承下さい。(効果を入れてもieの10以降では再生できないためです)
 往路に立ち寄った際に、集落を囲む山肌に階段状の遺跡が見えて、大勢の見学者が歩いているのが見えました。行って見たいなーと思ったのですが、帰り道にその希望がかないました。

←麓のゲート付近から見上げた遺跡
↓2合目辺りから見た入り口付近。みやげ物店がならんでいる。左手の山肌にも遺跡がある。
 階段がずーっと続きますので、見学者のペースにあわせて、途中二回ほど小休止して息を整えます。

  一回目の休憩で見上げる頂上。まだ長いです→
 

 やっと遺跡の頂上付近について、建設当時の工法などについて説明をいただきます。

 ↓反対側には円形の競技場?も見えます。

 麓に降りて復元した町並みや水路を見学した後、しばらく自由時間となり、近くの遺跡やみやげ物店を回った後バスに乗ります。(下のバスではありません)次は昼食会場を目指します。

 町の中心部のロータリーに止まっているバイクはほとんど日本製です。

  動画はこちらからどうぞ

つづく・・・


2.旅行準備
A.参考文献 今回の旅行の一年くらい前でしょうか、インカの遺跡についての巡回博覧会のような形で日本国内各地の博物館などで多彩な映像も使った催しが行われていました。仙台市で行われたそのCG浮遊映像などを見てますます行ってみたいということになりました。この「巡回展」は今年も各地で行われているようです。ペルーには日系人の方々も多くおられて後押しをしてくれているのかもしれません。
 まずネットの資料を探しますが断片的なものしかありません。総合的にはやはりガイドブックが必要です。これも本屋さんを見ますが、アジア・ヨーロッパ・北米は多くありますが南米は手薄です。ネット上では本の中身まで確認できないので、あるとき出かけた先の多賀城市の本屋さんで、るるぶのガイドブックを見て充実していたので購入しました。旅行に同行した方々もほとんどこれを見ているようでした。国内ではおそらくこの本がペルー・マチュピチュの解説では一番充実しているのではないでしょうか。
      
 上が本誌で、その右が綴じ込み付録の地図です。地図にはマチュピチュの詳細な説明図があります
 
B.旅行会社の選定 これはネット上で各社で現在発売されている旅行商品を比較しました。一番大きな比較事項は、見たいところが必要なだけ盛り込まれているかどうかです。その次に費用、そして海外が初めてでも安心して添乗員付きで行って来られるかということになります。
 マチュピチュがやはり主目的なので、そこが半日だけという企画もありますが、午前・午後と通してゆったりと見て回りたいものです。格安の中には現地到達まで添乗員が無しというものもありました。これは旅慣れた人や直行便がある場合にはともかく、アメリカでの乗り継ぎの不案内などを考えると外さざるをえません。金額的には時期ごとに料金が変わってやはり夏休み期間は高額になります。以上の条件をもとに6月出発で比較しましたがエコノミークラスで約32万円から70万円ほどと2倍以上の差がありました。何社かを比較して、HISという旅行社に決定しました。(ここではあまり他社のことを書くことが目的ではありませんので、ご自身で比較調査をお願いします) 
C.日程の決定 都合に合わせた日程を旅行会社の企画日程の中から選びます。 マチュピチュだけであれば5日間程度なのかもしれませんが、せっかくペルーに渡るので主なポイントはおさえたいということになり、8日間がほぼ最短ということになるようです。下記に旅行会社の日程表をもとに私がまとめたものを掲載します。日本での時刻を併記してあります。これは予定で、実際には飛行機の遅延等があり、初日のホテル到着は午前3時近くになりました。    
       
D.パスポート等の準備 当然ながら外国へ渡るのには普通であればパスポートが要ります。写真を自分で用意する場合などには制約事項が多いので日程的に余裕を持って手続きします。またアメリカを経由するのでESTAというものも必要です。パスポートの取得についてはお住まいの地方自治体窓口(岩手では市町村)、ESTAについてはネット上でアメリカ大使館の窓口からクレジットカードと旅券番号等を入力することで手続きが完了します。
E.体調管理 風邪をひいたりおなかを壊したりしないようにするのはもちろん、基礎的な体力が無いと疲れます。普通の高齢者(70歳以上くらい)にはきついかもしれません。エコノミークラスの飛行機で乗り継いで首都に着くまでに22時間くらいかかります。さらにその先でバスや国内線にも長時間乗ることになります。またミニトレッキングもありますがこれも高地で空気が薄く、結構こたえます。高山病もあります。飛行機はビジネスクラスを用意している企画もあるようですが、料金の差が20万円近くあったりします。
 
3.往復の交通機関にて
A.東北地方から成田空港へ
 
日本発の国際ツアーの多くがこちらの空港から出発しますが、地方在住者はそこへ行くまでの往復にも結構時間を要します。私の住む三陸沿岸からは都心までで新幹線と在来線を乗り継いで5時間近くを要します。都心から成田までも効率の良い交通手段を選ばないと、下手をすると前泊が必要になります。今回は16時近くの出発ですが、集合時間は事前の問い合わせでは2時間前ということでしたが、その後の確認で3時間前に集合くださいということになりました。
 都心から成田ヘ向かう交通手段には各種ありますが、大きく分けて東京駅からJR、上野・日暮里駅から京成線、各地からバスという三つが主なようです。所要時間と料金と乗り継ぎの便で京成線を利用することとしました。上野へは東北新幹線の他に、秋田・山形・上越・長野の各新幹線も到着します。また東京駅まで進むと多少のタイムロスになります。京成スカイライナーは一時間に3本ほど出ていて上野・日暮里からは途中停車無しで成田空港まで行きます。上野駅でJRから京成へ乗り換えた場合には一度駅の外へ出て横断歩道を渡りますが、日暮里駅で乗り換えた場合には、山手線が入って乗り換え回数が一回増えるものの時間的には短くて澄みそうです。
 今回、2時間前集合を前提に新幹線の予約をしたものが、3時間前集合に変更になりましたので、間に合うためには上野に新幹線到着から、日暮里での京成線発車までの時間的余裕はなんと27分しか無くなってしまいました。しかも京成線の予約は発車5分前を過ぎるとキャンセルされますので、実質22分しかありません。
←日暮里の京成スカイライナー専用ホーム
  ROでネット予約後券売機で購入した特急・乗車券

 各サイトで上野駅構内の地階3階新幹線到着ホームから山手線内回りまでの乗り換えを検索すると18分などという予想が多くあります。これでは間に合わないので、走りました!長いエスカレータはザックを背負ったほかに重いスーツケースをつかんで駆け上がりました。その結果上野駅構内の乗り換えは数分で済み、日暮里の京成線売り場まで13分で到着することができました。
 
B.成田からヒューストン
 南米は日本からみてほぼ地球の裏側に当たりますのでそれなりに時間がかかります。直行便は定期便では無いようで、アメリカのどこかでの乗り継ぎになります。ツアー募集時点では利用する便は決定していないのが普通のようです。多分そのほうが総額費用を安く抑えることができるのだと思います。今回のツアーでは往路はヒューストン、帰路はニューヨーク空港での乗り換えとなりました。片道で12〜13時間を要します。さらにそこからペルーの首都リマまでも7時間近くを要し、乗り換え時間を含めると丸一日以上かかってペルーに到着することになります。

 往路はずーっと偏西風に乗って太平洋上を飛んで行きますので(帰路は偏西風を避けてアラスカ・ベーリング海を経由)、初めてお目にかかる外国はアメリカ大陸でした。荒野あり雪をまとった高山あり、灌漑による農地らしいものも見えます。

 ヒューストンでの乗り換え時間は1.5時間ほどの予定です。それくらいあれば成田でセキュリティチェックは受けているし、楽勝かなと思いきや、添乗員さんの言うにはぎりぎりなので無駄の無いように行動してくださいということです。アメリカはチェックが厳しく全指の指紋照合や再度のセキュリティチェックや手続き順番待ち時間などで、本当にぎりぎりになりそうです。
 事件はグループがバラバラのレーンでセキュリティチェックを受けたあとに起こりました。

 私たちは後から別のレーンに振り分けられたため、チェックの出口に着いたところではグループは誰もいません。その先の搭乗ゲートに集合するものと思っていましたので、かなり遠方にある指定のゲートに向かいました。ところが着いてみたらグループはおろか他のお客さんも誰も居ません! なんと搭乗予定の便はゲートの場所が変更になって、成田で言うと第一から第二ターミナルに変更というくらい離れた場所になっていたのでした。移動はモノレールで行います。グループは私たちより遅れてチェックから出てきていたのでした。添乗員さんが迎えに来てくれて事なきを得ました。出発ゲートの変更は良くあることのようで、このあとクスコの空港でも起こりました。
 予定の便はかなり遅れて出発することになり、待合室にある売店で初めてドル札を使った買い物をしてみました。
 ペルーの通貨はソル(1ソル≒40円)ですが、ほとんどの場合米ドルが使えるとのことで、1ドル札40枚と10ドル札30枚を用意しました。アメリカの単価は「2.99ドル」といった半端なつけ方ですので、紙幣に対して硬貨のおつりがきます(RO写真)。
 ソースの瓶のようにも見えますが、ペットボトルです。味はジュース類はあまり変わりありません。それより硬貨を見て困ったのが、金額がわからないことです。オモテにもウラにも金額が数字で示されていません。たとえば1セント硬貨には、小さい文字で「ONE CENT」とだけ書いてあります。注意して読まないとわかりませんでした。結局このあと硬貨を使うことはありませんでした。
つづく・・・