「考え発表」  
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 個人のホームページとしては、あまり意見を強く出すことはしてこなかったのですが、こちらのコーナーでは歯に着せた衣(きぬ)を少し脱いで、考えていること、思いついたことを書いてゆこうとおもいます。視覚的に訴える画像は省略することが多くなり、ビジュアル的にはつまらないかもしれませんが、文末までお読みいただければ幸いです。
 
1. 遭難者への眼差しについて
2. 道路標識の変なところ
3. でたらめなグラフはやめましょう
4. アンフェアな広告を助長する全国紙
5. 風評をあおる広告主からは絶対買いません
6. 地方間格差の根底に潜む差別意識
7. LED信号は積雪地では危険ですよ


7. LED信号は積雪地では危険ですよ
 LED信号は積雪地では危険なことがあります。正面から吹き付けた雪が付着すると見えません。映像では剥がした後ですが、私が止まる直前にはどこが信号機があるかわからないほどに着雪で覆われていました。
 白熱灯式の信号機の場合には発熱量が多いために着雪はすぐに溶け落ちていました(黄色は点灯時間が短いために落ちにくいですが)。LED光源は発熱量が小さいためにほとんど融けず、着雪が分厚く重なって信号が確認できなくなります。
 LED信号が普及し始めた時点でこの現象は予想されましたので警察庁本部に対策を検討するよう進言申し上げたのが数年前。その後有効な対策がなされているのをみたことがありません。やはり中央省庁の役人は地方の気候などに思いをはせることは無いのでしょう。事故が相当数発生して問題化するまでは。
 具体的な改良方法案としては、
1.付きにくくする(表面材質や形状・下向き等の工夫)
2.付いても溶かす機能を備える(自動着雪検知と発熱) 
の2点かと思います。 
 役人があてにならなければ、信号機メーカーが積極的に取り組むという方法もあります。

6. 地方間格差の根底に潜む差別意識
 よく見かける天気予報の画面から、地方間格差の問題を学ぶことが出来ます。今回取り上げる例はTBSのニュースバードですが、かつてNHKでもほぼ同様の「間違い」を起こしていました。指摘させていただいて以降、修正されたようです。
 まず、全国の天気分布等の地図をご覧ください。これを見ただけでもサンプルの間隔にばらつきがあるのがわかります。北海道は広大な面積に2カ所だけ。対して西日本の表示地点は間隔が狭くなっています。

 次に国内の地方別天気予報の画面をご覧ください。左下写真は関東地方を表示しています。下は東北地方と北海道をひと括りで表示しています。関東地方の都府県数は7、東北北海道の道県数は7で、一見バランスが取れているようにも見えます。
 しかし・・・
 関東の上の区域の都県面積合計は、3万3千平方キロ
 東北・北海道の面積合計は、 15万平方キロ

 ですので5倍近い面積比になります。
関東地方と東北・北海道を、同じ縮尺で比べると、この図のようになります。
 この会社の天気予報は、都道府県単位の代表地点数で、地域別予報の区分けをしているために、このような配分になっています。つまり人間が作った行政区の単位と同じように、天気分布も区分けがされているという前提で、この天気予報は成り立っています。
 しかし、人口密度が低い区域では、天気分布も大雑把に推移してゆく・・・はずがありません。自然現象にとっては人口分布はどうでも良いことです。(一部にヒートアイランドなどの例外はありますが) 
 つまり、大都会以外の、人口が少ない地方は、天気予報のサービスも手薄なもので構わないという意識が、この番組に限らす多くの番組を制作する人たちに浸透しているからだと私は考えています。
 過疎地の限界集落は増え、一向に格差拡大の流れは止まりません。 地方で丹精込めて育てた人材が、成長とともに大都会に流出する構図も変化しません。

 同様の例は、NHKの取材ヘリ配置にも見ることが出来ます。私の以前の記憶に間違いがなければの話ですが、四国では4県全域を1機のヘリで担当しています。 岩手県は面積では四国4県に近い面積がありますが、それを含む東北六県全体で1機しか配置されていません。南北への距離も長く、緊急取材能力にも大きな差が出ることが明白です。3.11の取材では「たまたま」取材拠点である仙台が被災地であったために取材に活用できたようですが、青森や日本海側での取材が必要な場合にはどうするのでしょうか。

一極集中の弊害排除や、地方の活性化のためには、このような意識の改革も必要ではないでしょうか。


5. 風評被害をあおるような広告
 毎日いろんな広告メールが来ます。役に立たないものは、たいていは自動・手動で振り分けして消去していますが、今回は役に立たないだけでなく、絶対見過ごすことができないものがありましたので取り上げさせていただきました。
 LUXA[ルクサ]は、お得に贅沢体験ができるプレミアムチケットのタイムセールサイト。
 とのことです。送られてきたメールを画像として切り取ったものを下に掲示します。
 私の目にとまったのは、「安心、安全な…」というところです。何に対して安心・安全だと言っているのでしょうか。おそらくこの文章を目にした多くの消費者は、「放射能に汚染されているものではありませんよ」という意味に受け取ったのではないでしょうか。 規格外の米を主食用に流用する事件もありましたが、その件についての安心を語るのであれば流通上の問題であり産地を持ち出す必要はありません。誤解であって欲しいのですが、掲載者にその意図が無いとしても、放射能についての表示であると受け取る可能性が大きい以上、その影響について述べます。
 農水産物の放射能については、懸念されるものについては全数調査を行っての出荷がされています。そうでないものは流通していません。つまりすべての流通している食品は「安心・安全」なのです。安全でないものを流通させているとすればそれは犯罪でありニュースネタになります。 私は消費生活上で機会があればなるべく福島の産物を選んで復興に寄与出来るように努めているつもりです。
 この広告主の意図するところを、普通に解釈して表記しなおしますと次のようになります。
「私どもの扱っているお米は、原子力発電所事故による放射能の影響を受けることのない、福島から遠く離れたところで生産されておりますので、放射能が含有される危険のない、安心で安全なものです」
 …言外に被災地周辺の食品は、危険性が払拭されていないので、食べないほうが良いですよ という意味も読み取れます。
 被災地に対して全国の皆様から支援いただいていることに、そこに住む者として大変感謝しています。また生産者をはじめ、復興に向けた努力へも公的・私的に援助をいただいています。
 しかしこの広告からは、一番懸念される、根拠のない風評被害についてあおり、他人の不幸を踏み台にして自らの産品を売り込もうという意識がうかがえます。
 とても残念でなりません。

↓ メールの見出しと本文の一部



4. 暖房機のアンフェアな広告を助長する全国紙     2013.12.24 掲載
提起したい問題点は次の3つです。
 (1) 能力不足  (2) 維持費が高い (3) 大手新聞が欠点の大きい品を堂々と広告掲載している
 冬が近づくと毎年読売新聞に何度も登場する(この冬は4回は数えました)暖房機の広告があります(他の新聞でもそうかもしれませんが、ウチで購読しているのが読売新聞なので、その内容に基づいての報告です)。
 オイルヒーターという名称ですが、エネルギー源は電熱です。発熱体をオイルの中に閉じ込めてあり、放射熱を主体に暖めます。同じく電気を使う暖房機でも、エアコンやエコキュートといったものに比べると発生する熱の効率が極端に低く、その比率は7倍以上になります。つまり電熱器で出せる熱を1とすると、エアコンではその7倍もの熱を出すことができます。ですので長時間使用することが多い暖房器具は、効率の悪さから電熱を熱源とするものはだいぶ少なくなりました。 それでも局所暖房や短時間だけ暖めるもの(反射式や電気カーペット)では手軽で有利な点がありますので使うメリットがあります。

 このオイルヒータについてはどうでしょうか。小さく「強力9フィンで8畳まで対応」とあります。(ごく小さく下のほうに適用畳数4〜8畳と記載)読んだ消費者は、8畳までなら暖めることが出来るのだと思うでしょう。実際はどうでしょうか。この製品は900wです。冬に600wの電熱器で暖房をとろうとした経験のある者としては、器具の上に覆いかぶさるようにじっとしていれば、一人分は暖められるかもしれませんが、部屋全体を暖められないのは明白です。 それでは台数を増やしたりして出力を上げれば良いのでしょうか。一部屋で2台以上使うのはコンセントの容量(15A)からしてブレーカーが落ちます。
 またその効率の悪さから電気代が嵩んで維持費が最も高い暖房手段になります。
 この広告ではその2点(寒い・高い)についてのフェアな記述がありません。世の中の人々の常識として電気(電熱)暖房は経費が高くつくということは知れ渡っていると考えているのでしょうか。この広告を見る人の中にはそのような予備知識を持たないお年寄りなども多く居ることと思います。その人たちが判断の基準にすることの一つに「大手新聞の広告にあるから安心」ということもあるでしょう。折込チラシなどであれば相手にしない内容であっても、新聞の一部に載っていれば信じるという「効能」があると思います。 広告主もその辺のことを心得ていて、多額の広告費用を払ってでも掲載を発注し、新聞社も多少アンフェアな内容であっても大きな広告収入源となるので何度も掲載する・・・というように見受けられます。
 その結果として、購入した人は「なかなか温まらない、電気代が高い」ので使うのをやめた、結局買い物は無駄になったということになります。 賢い消費者だけならこのような悪循環はおこらないのでしょうが、「本当に価値のあるもの」を見分けることのできる能力を備えていないと穴に落ちます。 買い物に限らず大事なものを見極める目は研ぎ澄ませて行かなければなりません。
 ↓新聞の全面広告
 
 こちらはケーズ電機の広告チラシに載っていた、老舗のオイルヒーターメーカー、デロンギ社のものです。1500Wにも関わらず、寒いところや住宅条件によっては4畳にしか対応できないということになります。


3. でたらめなグラフはやめましょう
 まず、例として下の「グラフ」をご覧ください。これらはスタッドレスタイヤの性能を旧製品と新製品で比較したつもりのグラフです。ここで私が「でたらめ」とする点を説明します。一番上の白地のグラフで見ますと、
 視覚的に赤棒と青棒では長さの比率は 3対4 です。(メジャーで測定の結果)比率は 75%になります。
 これに対してタイヤメーカーのうたう性能比は 100対112 のようです。 比率は 89%です。 
つまり、これまでのタイヤに比して89%の距離で停止できるという性能を、75%で停止できるかのように、視覚的に消費者を欺いています。この差はどこから来るのかと言うと、グラフの目盛、0と70の間を切り詰めていることによります。グラフにおいてこの「足切り」を行うのが適切な場合とは、二つ以上の指標(例えば円安と株価、例として下段に掲載)が、時間的にどのような関連性を持って変化してきたかといった事項を見る場合に、二つの折れ線の間の変化の度合いを拡大表示してみる場合に有効です。この場合に足切りをしない、0点からの表示ですと変化の相関が表示上小さくなると言う見にくさがあります。ですが下の例のようにタイヤの性能の2種類を比べる場合において、実際に向上した数値を水増しして、消費者に誤解を与えるためにグラフの足切りをするのは、極めて不適切です。
例1 ブリジストンによる誇大表示↓  実際の比率 89% → 誇大比率 75%
  
例2 ダンロップによる誇大表示↓  実際の比率 94% → 誇大比率 91%
  
例3 ヨコハマによる誇大表示↓  実際の比率 92% → 誇大比率 81%
  
比較のために正しい表示の例も掲載します。きちんと0点からの比率が視覚的に把握できます。
  
 分野は違いますが下図も正しい表示方法の例です。台数が10年余りで半分近くになったことが視覚的に把握できます。例えばこのグラフに足切りを行って、400万台までの目盛を切り詰めたとした場合、回収台数は視覚的には1/4くらいになったように見えるはずです。
    
※例 左右の目盛とも足切りをしているが、二つの指数の相関を見ることが目的のグラフであるために適切な使用例といえる。
 このグラフ足切り手法は、2年ほど前の事例ですが、国産のタイヤトップメーカーであるはずのブリジストンが行って誇大表示していました。当時はダンロップとヨコハマは正直に実際の比率でグラフを掲載していました。ですが2013年3月現在で調べてみたところ、ダンロップもヨコハマも、「正直者が馬鹿を見るのは、いつまでも我慢できない」とでも考えたのでしょうか、上図のようにBSと同様の誇大表示に変わってしまっていました。
 BSの例で言うと、向上を「アップ」という表現で掲載していますが、小学生で習う比率の計算がうまくできないようで、旧製品を100として、新製品を比較するべきですので、その場合には「11%の向上」と算出されるのが正解です。BSには2年前の時点で広報室に意見を差し上げて、担当者には理解いただいたのですが、その後の社内に壁があって打ち破るにはいたらなかったようです。社訓にはどの会社も立派なことを並べている例が多いのですが、バカ正直がウリの日本でこのような例がまかり通っていることが不思議でなりません。


2. 道路標識の変なところ 〜対面通行の表示について
 これは、地方などに多くある片側1車線の高規格道において、所々に設置されている追い越し区間の表示が不適切であることへの苦言です。まず、実際の標識と車線区分の状態を観察してみましょう。
 追い越し可能区間が近づいてきた(まだ区間には入っていない)ところで、追い越し禁止が解除された標識があります。中央線も黄色から白になります。
 ところが車線は1本で、物理的に追い越しは不可能です。
 車線が2本になって実際に追い越しが可能になるのは、上の標識から500mも進んだところです。
 なので左上写真の標識は、正しくは「この先500m」という条件付にするべきです。また実際に2車線になる、左写真の場所にこそ追い越し禁止解除の標識を設置するべきです。
 また数百メートル進むと、1km先で対面通行が始まる標識があります。
 ところが300mも行かないうちに、車線数が2から1に減少させる規制が始まります。先の「1km先」というのはウソだったのでしょうか?
 そしてさらに200mほど先、「1km先」の標識からは500mほどのところで、2車線は完全に終わります。
 さらに500mほどで「対面通行」になって追い越しに係る一連の表示は終わります。
(左端に対面通行の標識が見えます)
 以上の標識配置を見ての改善要望事項です。
 何らかの事情でゆっくり走っている車がある場合には、追い越し区間で先に出るのが普通です。追い越しの最中に、追い越し可能区間(片側二車線部分)が、あとどれくらい残っているのかを知っておくことは、余裕を持った車線変更のために必要なことです。
 ところが標識に表示されている「残り距離」は、「対面通行箇所」までの距離であって、二車線が一車線に減少する場所までの距離ではありません。この2者が近くならいいのですが、通常は数百メートルの開きがあります。
 つまり、対面通行まであと1kmとあるのを見て、余裕だと思って追い越しをかけると、その半分くらいの距離で追い越し車線は無くなってしまうという事です。 標識は必要な情報を伝えるためにあるはずですが、ドライバーに必要な情報が伝わっていません。対面通行かどうかは、はっきり言ってあまり重要な情報ではありません。
 一車線か二車線かを伝える標識にしてもらえないでしょうか。 


1. 遭難者への眼差しについて 2013.01.06記入
 この冬は時期的に早めの降雪と、厳しい寒さが年明け前からやってきています。冬山へ登ったりスノーモービルで入山した人たちと連絡が取れなくなったり遭難してしまったりということが何件か起こっています。冬山に限らず、捜索と救助には多くの公務員(警察・消防)に加えて、地元の山岳会などからも人が出ることがあります。場合によっては民間のヘリコプターが飛んで、多額の費用がかかることもあるようです。救援を依頼する場合にお金のかからない方法でと指定する遭難者もあるそうですが、それはやはりわがままと言えるかもしれません。私もある程度の屋外活動はしますので、万一のことも常に念頭に置いて行動しますが、自力解決が出来なくなった非常時にはお金のことなど言ってられないと思っています。
 冬山などで遭難が起こると、よく聞く感想が「何も好き好んであんな大変なところに行かなくても良いのに」というのがあります。これに対しては趣味・個人の自由の世界ですから、他に迷惑をかけずに完了できればとやかく言う筋合いではありません。たいていの人は何か自分の好きなことがあるでしょうが、他人から見ればそれは「つまらないこと」かもしれません。
 その次に出てくる感想が前項でも触れましたが「周りに迷惑をかけるようなことは慎むべきだ」というものです。大勢の要員を無謀な遭難者のために、二次遭難の危険を冒して動員させることは不合理で、税金から費用をまかなっていることを考えるべきだ、というものです。
 最近は少なくなりましたが、少し前までは「遭難者たたき」とでも言えそうな報道がよくありました。やっと生還した人にマイクとカメラを向けて謝らせるという構図です。報道機関もそれを当たり前と思ってニュース番組の筋書きをを構成し、偏見でカメラを向けていますし、視聴者も「そうだ、けしからん!」という感覚でその報道を鬱憤晴らしのように見ています。

 はたしてこれは正常な感覚でしょうか。話を混乱させないために民間による救助活動についてはここでは除外して述べます。公務員はそのような場合でも粛々と(自己の安全確保が前提にはなりますが)、業務を遂行するのが仕事であり当たり前のことです。そのようなことがいやなら別の仕事に就けばよいのです。警察や消防の方が、遭難者に対して苦情を言っているのは見たことがありません。計画や装備の甘さに対して指摘することはあるかもしれませんが、それは思いやりであり向上へのアドバイスから来るものです。彼ら公務員はそのような使命感から毎日の職務をこなしているのだと私は思っています。
 文句を言うのは、自分ではアクションを起こさない、尻馬に乗りやすい、観客的な大衆です。遭難者は精一杯自己やグループの安全のために尽力したけれども、万策尽きて遭難者となるのです。
 身近な警察や消防の業務について分析してみましょう。無謀運転や飲酒運転による事故が後を絶ちません。ずさんな防火設備の管理から火災による犠牲者が出ることもよくあります。このような事態の原因となった人たちは前項の登山者のように、「精一杯安全確保のために努力したけれども力及ばず事故や火災に至った」のでしょうか。そんなことはありません。いわば未必の故意により、自己や他人の生命を脅かし場合によっては死に至らしめているのです。このような場合でさえ、警察や消防はわけ隔てなく全力を尽くして救助にあたります。それが使命だからです。

 山岳遭難は小さなものでも大きく報道されます。交通事故はかなり悪質な場合を除いて全国的に報道されることは多くありません。遭難と交通事故。両者の原因や経過には前述のように大きな質的な違いがあるにも関わらず、報道機関の取り扱い方にはどうしてこんなに差が出るのでしょうか。そしてまた報道機関に誘導された大衆の意見が遭難者たたきに傾くのでしょうか。
 私の分析ですが、「ニュースは珍しいからニュースになる」ということが基本にあって、「重要なことを報道するのが使命」というスタンスが崩れかけているからではないかと思います。つまり、交通事故は件数が多く、悪質であっても世間はあまり気にも留めない。対して遭難は発生事例が少なく、話題性に富んでいる。 なので、今日のニュースは「盛り上がりそうな」遭難の話題を前面に出そう…ということになっているのではないでしょうか。


 類似した事項で、紛争地域に出向いて、現地の人たちのために自己の危険をも冒して力を尽くしている人たちがいます。志が高くすばらしい人たちだと思います。あるとき治安の悪化により現地大使館は警告を出しましたがそれでも活動を続けていた人が拉致されたことがありました。 国論は2分されました。「警告を無視して留まったのだから政府として対応する必要は無い」という意見がありました。愚かなことに、それに乗ったお役人がいました。公の場で政府機関の人間がその活動していた人を非難したのです。
 これを前述の交通事故現場に置き換えてみましょう。要救助者が飲酒運転の自損事故だとします。救急車は「これはあなたが悪いのだから救急搬送しません」と言うような対応をとるはずはありません。現場のプロは全力を尽くしてその人を救うために動きます。
 政府は外務省は邦人の安全確保のために、どんな場合でも最大限の努力をすべきであるのに、国家組織が個人の批判を行ったのです。私的にはこのことは大きな政治の汚点だったと思っています。
 
 報道機関と、現場の公務員と、一部政府のボケ役人のプロ意識の比較と、迎合してはいけない大衆の感覚についての考えを書かせていただきました。